昭和の風林史(昭和五九年一月十日掲載分)

厳しさは寒さと追証請求

相場する以上、時に利あらずの時もある。凌ぎも相場である。最後は気力である。

相場にエネルギーが残っているあいだは下げてもそれは押し目であり、押すことによりまた上に行く。

今の小豆はエネルギーが燃え尽きていないから、下げてもすぐに反発する。

人々は、もう売る事の不利を十分認識した。

従って今ある期近の売り玉が踏まされるのを待つだけという相場である。

現在小豆市場に介入している投機家は、相場がなぜ、こうなっているかを十分承知している。

(1)中国小豆の新穀の入荷量が少ない。(2)台湾小豆の新穀の成約が進まない。(3)それらはIQ商社のオペレーションと輸出する側の事情による。(4)そして、ないものを売ったとがめを、(5)市場の巧者筋に攻められ、(6)息の長い逆ザヤ相場が維持され、(7)弱気の方針を組み立てた側が、間違っていた―ということである。

相場世界は、しまったは仕舞えという。間違った方針に気がつけば、いつまでも固持していては身がもたない。

しかし、ここまできたら、今更という気がある(本当は、これがいけないのだが)。すでに敢えて逆らう気持ちは失せたようだが(1)前二本の売り玉は手仕舞う。(2)先の限月は売り上がる。中の限月の売りは追証を入れて辛抱する。

要するに凌ぎも相場。凌ぎは艱難である。艱難汝を玉にすという。

そのうち、必らずほぐれるもので、誰も彼もが辛抱の限界にきたところが売り落城の高峠となる。

内部要因が値頃によって変化する。日柄によって需給事情も変化していく。

忍耐とは、世の中が変化するのを耐え忍ぶことである。その際、用心すべきは気が萎(な)えることである。各人各様さまざまであろうが、資力と気力の戦いである。

●編集部註
 〝艱難汝を玉にす〟。
 「かんなんなんじをぎょくにす」と読む。〝困難〟と間違えられやすいのだが、艱難は困難にぶつかった際に悩み苦しむ状態のことを指す。「逆境の中で人は磨かれて成長していく」という意味だが、これが漢籍や日本の古典からではなく、西洋のことわざに由来した言葉であるという説があるという事を今回初めて知った。
 文語体で書かれていると、江戸以前の文章と思われがちだが、存外明治時代に創作された文章のケースが少なくない。昔、学校で「言文一致運動」という言葉を習ったと思う。これを境に日本語表現は変わっている。
 これは会話も同じで、現代の時代劇で役者が喋る言葉は今様である。当時の話し言葉で台詞を作ると、恐らく何を言っているのか解らないだろう。