昭和の風林史(昭和五七年七月十日掲載分)

ぬるさもぬるし先二本

待つは仁。相場自然の流れに戻るのをひたすら待つだけ。下がる時がくれば下がる。

小豆期近限月は取引所の指導もあって解け商いが進行している。

国会でも問題にされた七日のO社大量買いは時局を配慮しなかったという事で、O社東京の責任者N氏は六カ月10%の減俸ということで恭順を示した。折からO社O社長は入院開腹手術。経過は良好。

市場では買い主力は今月も納会受けて立つだろうと臆測されている。

市場管理要綱に「同一の商品取引員が二回以上連続して受渡全数量の三分の一又は50枚以上受渡をした場合及び逆鞘納会で受けた場合であって本所が必要と認めたときは委託者の住所、氏名等の報告を求めるものとする」―とある。しかし、だからどうなのか?

市場関係者の俵読みでは今月も三市場千枚の渡し物はあるはずだ―。

来月もまた千枚ぐらいは渡し物が出るだろう―と。

商社筋は六月末外貨残を千二百万㌦と読んで、七月→九月一万二千㌧の入荷。北海道からの転送分を考えると九月末は三十万俵の在庫。新穀百万俵出回りなら、需給面に不安なし。

目下のところ〝さわらぬ豆にたたりなし〟という商社筋の感覚だが、どこかで勝負の決着をつけるところが必らずあると満を持しているようだ。

天候のほうは中間地帯の旱魃が心配されている。

買い方にとっては期待のよりどころでもある。

それにしても先二本は下がりたがっている。

相場は正直なものだ。下がる潮時がくれば、どなた様が買っても下がる。

売り屋は共産党に期待したり役所や取引所に期待しすぎた事をようやく判りかけてきた。そのようなものを期待して売っても駄目だ。

要するに日柄による相場、自然の流れを待つこと。死んだはずのファンダメンタルズがモノを言うだろう。

●編集部註
 先週も述べたが、眼に見えているものが全てではない。
 恐らく、暗闇での殴り合いが続いている。殴打する音だけが聴こえるも、お互い何処からパンチが飛んで来るか判らない。
 そうして、この時の小豆相場では買い方も売り方も共に傷つく事になる。 先週、風林火山が書いたように、確かにBGMはニノ・ロータが作曲した映画『太陽がいっぱい』のテーマ曲、泣きのトランペットが良く似合う。 繰り返すが眼に見えているものが全てではない。
 この『太陽がいっぱい』という映画もある大きな暗喩が込められた作品として非常に有名な作品だ。
 その暗喩を、日本で一番最初に解き明かしたのは、淀川長治である。