昭和の風林史(昭和五七年六月十五日掲載分)

まず売り過ぎのとがめが

無茶苦茶な高値は出ないと思う。確かに売り過ぎた。煎れ一巡を待つ場面で忍耐。

産地に水霜が降りたということから被害はなかったものの玉負けしている売り方が踏んで、これに買い方が手仕舞いの売りを入れていた。

東穀は15日が定例理事会で、そのあと市場管理委員会が状況によって開かれる。東穀森川常務は『読売新聞など一般紙の記者が世間でいわれている六本木筋の小豆買いについて取材がふえた』そうだ。

市場人気としては『この相場は下がらん』というムードになった。

『(1)常識人は皆売っている。(2)オーバーヘッジ気味だし。(3)だから弱い材料のすべてを織り込んで、(4)しかも売りは玉負けだから暴落しようがない』(岡地東京岸上昌氏)。

確かに純相場論の〝人気と内部要因〟面からいえばその通りである。

しかし、弱材料織り込みとはいえ、強材料は、人気の弱さと売り込んだ取り組みだけで、強いていえば今月渡し物東京六五〇枚、大阪四〇〇枚、名古屋七〇枚の計千百二十枚が、全部渡ってしまうと来月完全な品ガスレになる。

買い方は値洗い差金で現受け資金が賄えるだけに無規制化した市場であれば戦いは有利に展開する。

要するにこれは現場と定期を完全に牛耳ってしまえばの話。

一般的には『先に煎れが出てしまうのかな』という見方になっている。

それにしても『こんなことでいいのだろうか。明らかに市場秩序もルールも踏みにじられて取引所の無力さを見せられる思い』と、非難が高まっている。

考えてみれば仕手崩れを期待して売り込んだ側の読み違えかもしれない。市場ルールの上では、あり得ないと考えた常識が常識でなかったということ。

もう一ツは、10人のうち9人が弱気では下がらんという相場の哲理。

だが、一巡煎れが出れば市場は収拾に向かっている時だけに本筋の流れに戻るはずだ。

●編集部註
 本来なら、チェアマンは毅然とした態度で紛糾している現場を差配しければならない。
 これをなぁなぁにすると必ずどちらかの怨嗟の的になる。ただでさえもめている。結果的に火に油を注いでしまう事になる。その典型としてこれからの事象をお読みいただくと判りやすいい。
 この当時、小豆相場は「赤いダイヤ」という言葉で一般に認知されている。
 富裕層が札束で不毛な殴り合いを繰り広げているのだから、相場をしない者からすれば上級の見世物となっている。