昭和の風林史(昭和五七年六月十日掲載分)

五年前の今時分パニック

あれは五年前。無理した相場が『六月崩し見ようの事』でパニックになった。
 
強力買い仕手の介在しない小豆なら、今時分は増反、順気で大下げしているところだ。
北海道現物市況も定期先限も仕手に関係ないところで値下がりしているし小豆の先行相場である大手亡豆が、やはり下げている。
罫線では大引け止め足を引いている人は判るが〔上段の天井〕三山が二月9日、23日、四月1日。
現在は〔中段の天井〕三山ができた。五月10日、19日、六月3日の頭がそれだ。
この〔中段のモミ〕が、いかにも一番、二番、三番、四番と底型に見えるところが、この相場の曲者で、仕手による安値買い支えによるもの。これは相場、自然の流れといえない。
節足(大阪)先限引き継ぎは三千二百七十円から売りになって、一番早いシグナルを出していた。
東西取り組み合計は七万五千枚台。五月4日の六万二百枚から一万五千枚がふえたわけだ。
これからは規制と自粛要請で、ほどけていくことになろう。

六本木筋は、あの店、この店と流浪の旅に出たような玉の出し具合い。『それでも私は買う』と、大阪にも出てくるようだ。
昔、泣く子と地頭には勝てんといった。いかな六本木筋といえど産地のお天気には勝てないのだが。
今までは無理が通れば道理が引っ込む。安値売らず戻り売れ―に徹してきたが、相場は、とみに疲労の色が濃い。農水省上層部もⅠQ物資買い占めや、異常取り組みに対して動きがあわただしくなった。
それはそれとして、相場は相場に聞け。トレンドも下げの切り込みが鋭角帯に入っている。流れというものは、どうしようもないもので、堰止めていたものが決壊すると、あとはなだれ山津波。無理した相場の怖さは五年前に見ている。

●編集部註
 5年前、1977年の小豆相場は売り方天国/買い方地獄の1年。この年に「普通の女の子に戻りたい」と解散を発表したキャンディーズのように、普通の生活に戻りたいと嘆く買い方は幾万といたかと思う。
 相場は76年12月から8週間上昇して以降、19 79年の大発会まで、途中数週間の反発局面は数回あった以外は軒並み下降相場であった。
 77年2月3日に東京市場で3万6500円であった相場は、同年12月6日には1万8360円になっていた。つまり、10か月で半額である。これが証拠金取引ならどうなるかは想像がつこう。