昭和の風林史(昭和五七年六月四日掲載分)

森の中が急に静かになる

こんな相場見たことない。森の中が急に静かになった。異様な気配である。
 
東穀の森川常務に電話したら(3日11時)、もうおみえになると思います―と。農水省商業課市場管理係長の長内氏に電話したら別の部屋で会議中とのこと。

他でもない。市場では『役所は小豆市場の問題を森川常務に一任しているそうだ』と言うから確かめるため電話した。

まさかそんなこともあるまいが、森川氏は先日『取り組み面は異常だが、価格面は異常と思わん』。『取引所は名儀も入金状況も住所も規定通りになっている以上、それ以上追求する権限がない』という事だった。

市場では、買い方は無制限にどこまでも買っていくようだが、こんな事でよいのだろうか?と市場管理面に疑問を持っている。

買い方機関店は『相場を叩かれるから防衛手段として買うだけで、高値に煽るようなことはしない。あくまでも今年の天候を思惑しているに過ぎん。売り方は盛に資金面のことを憶測されるが、それはまったく御心配いりません』。

売り方は玉負けしているから、気味悪くなって踏みが出る。また、利食いした人は手を出さんと取引員は言う。本来なら人気の集まる時期なのに大衆は離れている。取引所の市場管理に対する不信が強いのだ。

長い目で見ていく人は大幅増反だし、物は売れないから順気なら、この相場は大崩れする。あとは日柄を食わせて熟しきるのを待つだけ。正体の判らぬ六本木と相撲をとっても勝ち目がないから、相場が自壊するのを待つだけという持久の構えに入り、上値、上値に食いついていく。

それでよいと思う。怖い人は去るしかない。

●編集部註
 人生はクローズアップで見れば悲劇。ロングショットで見れば喜劇―。
 チャールズ・チャップリンの遺した言葉と言われている。「人生」という部分を「この時の小豆相場」に入れ替えると名言のような、格言のような文章が出来上がる。
 それにしても、若き風林火山の取材に対しての運営側のコメントの既視感は何だろうか。責任のバトンリレーである。
 ベンチがアホやから野球が出来へんという言葉が流行語になった背景の一端を知った気がする。
 相場は市場でありいちばである。人の賑わいが必要だ。人が来なければ話にならない。寄りたくないとなったらしまいだ。
 以前ラジオで聴いたことがある。政権の末期になるとニュースやワイドショーの視聴率が軒並み下がるのだという。
 この政治家の顔など見たくないとチャンネルを変える視聴者が多くなるためだとか。