昭和の風林史(昭和五十年五月二三日掲載分)

小豆に賭けろ 冷害凶作に張れ

奇跡のような過去三年の小豆作柄も、本年は、判然とした不順な天候で、凶作年になりそうだ。

「川狩るの堰きれそむと告げて来ぬ 柳青」

北海道の終雪は札幌で四月22日が平年値だが、一八七七年の統計開始以来最も遅い雪は一九四一年(昭和16年)の五月25日が記録に残っている。終雪の平年値と最晩は次の通り。(西暦)

平年値 最晩
稚内五月1日 六九年五月28日
旭川四月30日 一九〇〇年五月27日
網走五月8日 四一年六月8日
札幌四月22日 四一年五月25日
帯広四月26日 四一年五月26日
釧路四月23日 一二年五月21日
根室五月3日 四一年六月8日
浦河四月16日 五二年五月13日
函館四月13日 一八九八年五月22日
(東京天文台編理科年表より)。

一九四一年(昭和16年)網走と根室では六月の8日に雪が振った。最も遅い記録である。平年値では網走は五月8日となっている。昭和16年は一カ月遅れたわけだ。

それで昭和16年の小豆の作柄を見ると反収〇・八五俵となっている。

この年は太平洋戦争が始まった年である。

20日発表された北海道の三カ月天気予報でも本年の小豆等の作柄は楽観できるものでない。

夏型の気圧配置は安定しない。平年気温低め。局地的に大雨。秋の訪れが早い―等の言葉が見られる。

すでに早いところでは種を播き始める。

雪が降ろうと霜が降りようと、播いた種が発芽する前なら、作柄に関係ないじゃないかという言葉も聞くが、先物市場の相場心理というものは、常に先、先を考え、不順な天候である証拠をそこに見出すのだ。

さて、いまのところはまだ小豆に本格的な人気が寄っていないが、不順な天候がこのまま、いつまでも続くようだと、一万七千五百円以上にはホクレンの売り物があるというような、売り安心気分が払拭されてしまう。

仮りに作付け面積が二割減反なら四万八千八百ヘクタール。掛ける反収一・二三俵(昭和46年並みとして)は五十八万五千俵収穫。

昭和43・44・45年と小豆の作付け面積は四万六千。四万三千。四万三千ヘクタールと、いずれも四万ヘクタール台であった。

いまは四万七千。四万五千。四万三千ヘクタールの順で予想数字が言われているが、天候不順を見て農家心理がどう変化するか。

●編集部注
当時の小豆相場は五月末からの吹き上げに目を奪われがちだが、日足で見ると、七月を頭になだらかなドーム型の天井パターンを作る。

年前半のレンジ相場はここに来て、スケールアップして帰ってくる。

【昭和五十年五月二二日小豆十月限大阪一万七六〇〇円・四四〇円高/東京一万七五九〇円・四二〇円高】