昭和の風林史 (昭和四九年六月十九日掲載分)

幻の二万円か 不発弾に焦燥感

酔って騒いでみようかと心構えは皆しているが市場の雰囲気はまだまだ冷めていて湧かない。

「竹伐やいかづち雲の嶺に生る 風三楼」

北九州は小倉の軍歌酒場〝アンカー〟は店内に入ると古着屋と間違える感じの店で旧日本陸軍の将校マントや海軍の参謀肩章のついたもの、特攻隊の航空服からベタ金の将軍、提督の各種軍装がズラリと吊ってある。

お客は、その中から好きなものを選んで軍帽をかぶり、カウンターに威儀を正して、たえまなく続く軍歌を合唱する。

一種異様な雰囲気だ。

しかし、「さもあらばあれ日の本の吾はつわものかねてより草むすかばね悔ゆるなし」―などとやっていると、いい年をしたおっちゃんにも青春が蘇ってくるのであろうが、夜の更けていくのを忘れる。

さて、今の小豆相場さもあらばあれである。

先限一万六千五百円あたりの値段なら買って大丈夫だろう。

もし題をつけるとしたら『長い、長い強気』。

本年の作柄を平年作と見て、〝ヒューマン・コンピューター〟のはじき出した線が一万六千五百円である。

しかし『長い、長い強気』を覚悟しても『短い夏』の通り過ぎるのは早い。少々天候が崩れても、気の遠くなるような供給量に抵抗できるだけの仮需要即ち相場の花が咲くだろう。

大相場出現という状況は一種の〝狂気現象〟である。一犬型に吠ゆれば万犬声に吠ゆ―。これである。群集心理が燃えなければ大相場は出現しない。

一擲乾坤を賭すには石が流れて木の葉が沈むときでなければならない。

人の心理状況が冷静な時には、笛吹けど誰も踊らず。その事は手亡の相場で実験済みだ。

小豆相場に期待をかけている人は多い。

しかし、期待する人が多いほど二万円台は幻のグラフになるだろう。

オアシスの蜃気楼は砂漠を行く旅人の網膜に映るけれど、近づけない。

今の小豆相場がそれである。誰かが狂わなければならないのだ。

だが、世情を見る時、誰かが狂えば、一応狂った真似だけして、高値は売り抜けてしまおうと冷静な段取りをしている人が多いのが実情だけに話がしにくい。さもあられば、当分は逆張り相場だ。

●編集部注
 〝買って大丈夫だろう〟と設定した値位置は来ない事が多い。来てしまうとそこは逆に行く事が多い。相場分析あるある。

 逆に〝来ない〟〝幻〟と見られている値位置は存外来てしまう不思議。 

皆が動けない値位置に進むのが相場なのか。

【昭和四九年六月十八日小豆十一月限大阪一万七〇八〇円・五〇円高/東京一万七〇五〇円・五〇円高】