昭和の風林史(昭和四八年十月二四日掲載分)

相場であるが 相場でない相場

小豆相場を強気している人の言っている事のすべてがその通りだが、だからよけいに強気になれん。

「子に渡す双眼鏡や鶴来る 喜代子」

近所の酒屋が麦酒が値上げになるので買っておきませんかと注文を取りに来た。キリンは値上げしないから、買い溜めする必要はない―と言うと小売店の段階で自主的にキリンも値上げしますと言う。

会社のほうにも出入りの酒屋が来た。キリンも値上げしますからと言う。

キリン麦酒の佐藤保三郎社長は手持ちの安い原料で作れる今期(来年一月まで)中は値上げしないと言明していながらビールは公定価格でも再販価格でもないから末端の価格については責任がもてない―と言う。

中東戦争が始まった時、暖房用の灯油のひと冬分使用量を計算して契約させたら、まずドラム缶を一本持ってきた。二本目は値段がまだ判らないが、現品を持ってきておこうかという。計算すると、あまり安い勘定ではない。問えば、ドラム缶の代金とトラック運送料金がはいっているのだという。ドラム缶を二本も三本も狭い庭に置いてあるのを近所の人々に知られたら、きっと問題が持ち上がる危険があるのでやめにした。

わが家のトイレのそばに、ちり紙の梱包が天井までぎっしり積み上げてある。それなのに、また背丈ほど買い込んで通路は横向きにならないと通れない。いい加減にしろと言えば、年内に、もう二回値上がりするのだと言う。火がついたらこの家はさぞかしよく燃えることだろうと思う。

小豆相場が下がらないのも判らぬことではない。なにかモノにしておおきたい心理が浸透しきっている。特に戦中、戦後の物資不足時代を経験してきた年代は生活必需物資をストックすることに異常である。石ケン、洗剤、食油、味の素など数年分を溜めているのではないかと思う。

その点、先物市場での買いヘッジは、場所をとらない。いつでも手仕舞い出来る。流通性がある。

小豆の在庫が豊富であろうと、豊作であろうと、価格はすべて高騰する時代に逆らって相場を弱気するのは現代の経済を知らなさすぎるのであると言えようが、筆者はこの小豆相場を強気する気にはとてもなれない。

●編集部註
 ようやく、文章内に物価高騰の話が出てきた。

 当欄を担当するにあたり、もはや必携となった朝日文庫の「戦後値段史年表」をここでひらく。

 昭和四五年十月の麦酒大瓶一本の小売価格は一 四〇円。それがこの年の十月に一六〇円になった。

 現在はその倍くらいか。

【昭和四八年十月二三日小豆三月限大阪一万四一一〇円・二六〇円高/東京一万四〇〇〇円・一三〇円高】