興感が湧かぬ 砂を噛むが如し
新ポ待ちの市場である。新ポから一気に買い上げようという空気。産地筋がどう出てくるか。
「葛飾の沼辺の庵も冬支度 南北」
小豆相場を見ていると、やはりこの水準までくると上伸の力は弱まっている。
だが、強気している側は何としてでも新ポまで、確保した〝高地〟を維持したい。
新ポになれば援軍が到来する。
四月限登場という援軍は膠着した戦況を瞬時にして買い方有利にみちびくであろう―という期待がある。
四月限からは旧穀の供用が出来ない。受け渡しは48年産のみになる。
当然、大きくサヤを買ってくるだろうし、買い方は四月限を意識的にも集中買いして、膠着戦線を一気に突破するだろう。
一万五千円地相場という声が地に満ちているのも、そういう計算の上に組み建てられた予測である。
果たしてその時、沈黙を破って産地の現物集団が出動してくるかどうか。
満を持して、四月限の上ザヤ発会に向かって売りヘッジしてくることも充分に考えられる。
市場を見ていると人人は買い方恐怖症におちいっている。
それと、物価は一度上がると、もう下がらない―という現象を当たり前のように思い込んでいる。物価と相場とは性格の違うものであるが、上がったものは下がらないという錯覚である。
ここで、われわれは知らず知らずのうちに商品先物市場をいびつな目でみるようになっているのではなかろうか。需要と供給の調整により価格の標準化を取引所は第一の目的とする。
しかしながら昨今の穀物の先物市場は、需要と供給よりも投機思惑の影響度合いが、これすべて価格というふうに受け取られている。
それもひとつの時代的変革かもしれないが、投機の行き過ぎの弊害と、いえないこともない。
相場の先見性は先物市場の大きな特色であるが、実勢無視の先走った先見性はいずれ大きな落とし穴にはまるだろう。
もう一つは市場における巧者筋のテクニック。これは行き過ぎると価格操作となるがある程度のテクニックの駆使は小さな美徳かもしれぬ。商いが閑な時、市場の人気をリードし、気配を変える。その時が非常に洗練されたように思う。
当分、今までと同じような相場つきが続こう。
●編集部註
根拠なき熱狂に警鐘を鳴らすグリーンスパンのような書きっぷりである。
【昭和四八年十月二九日小豆三月限大阪一万四四六〇円・一〇円高/東京一万四三五〇円・七〇円高】