金言は死語に 時代の変化怖い
感覚にしろ考えにしろ時代から取り残されるほど怖いものはない。小豆の二万円時代もくるだろう。
「冬の野は小さき白き城を置く 青邨」
淀屋商事の塩谷潔社長は『昔は、春の野に出(い)でて遠山をのぞむが如し―などと言いまして、相場を見る奥義を、このような、うまい表現であらわしたのですが、現代の相場は、なんとなく味(あじ)気がないですね。もう、われわれの感覚は古いのでしょうか』―と。
確かに相場金言にしても〝真理不変〟と思うのであるが、時代とともに少しずつ変革している。
高下とも五分一割に従いて二割、三割向かう理として―などというのも死語になってしまった。
だいたい(上場の)全商品は倍だな―という。どの水準を掴んで、その値段から倍になるのか定かではないが、なるほど今の相場の半値とすれば、一万六千円の小豆は八千円の時代が長かった。生糸の半値は五千八百円。毛糸の半値千三百円。砂糖の八、九十円。綿糸四〇単の二百三十円。ゴムの百五十円。
そう思うと、降る雪や明治は遠くになりにけり―ほどでもないが、なんとも懐かしい値段で、筆者などいとおしい気持ちになる。
という事は、すでにもう時代から取り残されているという淋しさを感じる。
小豆の八千円という値段(の時代)が、いとおしいなどと思うようでは知らぬ間に小生も老いたと思うのである。
山大商事の杉山重光社長は『小豆の制限値幅を千円、あるいは七百円の倍の千四百円にすべきだし、小豆もキロ当たりの値段にすれば一万八千円が高いの安いの、二万円以上はどうのこうのと言われないで済む。一俵六〇㌔一万六千円とやるから世間や主務省の芽についてやかましく言われるが、一㌔三百円とか二百八十五円という値段で売買する事も考えてよいのではないか』。
なるほど、これが新時代向きの感覚なのかもしれない。古きよき時代にこだわっていては現代に生き残れない。
そうだな、小豆が五、六千円時代に仕手戦や凶作で八千円や九千円を付けた時の市場は、まさしく悲壮であったが、あれからもう十なん年。昭和三十年生まれなどという歌手がテレビで歌っているのだから時代というものは怖い。一万円時代になっても―と思う昨今である。
●編集部注
ギャップは埋まらず。今も昔も変わらない。
平成生まれの芸能人や2000年代生まれのアイドルがテレビ等で活躍しているのだから、時代というものは怖い。
【昭和四八年十二月十一日小豆五月限大阪一万五七二〇円・四一〇円安/東京一万五六九〇円・四四〇円安】