昭和の風林史(昭和四八年十二月五日掲載分)

基調完全下落 六千円天井確認

立ち会い日数が例年より少ないため、相場のほうも気ぜわしい。大勢は戻り売り方針でよい。

「北国の北のくらさや冬の海 月尚」

北海道メイジの鈴木社長は小豆相場について、農家が売ってこないのは、現物を持っておれば、まだまだ高値が出る―という先高期待が支配しているためだが、いざ、これを換金する段になって値崩れを招くことが心配される。

収穫したものが、そっくり産地在庫となっていることを思うと先行き寒(さむ)気がしてくる。

結局は一万六千円という値段は来年の転向が実際に悪いとか、大幅な減反というその場に直面しての材料が出ないことには天井と見てよかろう。

インフレムードだけではとても一万六千円を買い切っていけない。

もし、そのあたりまでなにかの拍子で戻すようなら絶好の売り場になると見ている。

実収高の発表で、かなりの減収、鎌入れ不足が表面化するのではないかと強気筋は期待しているが、すでにその事は、これまでの相場に織り込まれている。

十二月は普段の月と違って過ぎるのは早い。当限納会が21日。いよいよ本年も最終ラウンドに入って相場も相場だが、スケジュールのほうはカレンダーに書ききれぬほど詰まってしまった。

そして今年の大納会は例年と違って27日。いつもより一日早い。(証券市場のほうは28日大納会)第三土曜日は休会だし、それやこれやと考えれば残された実働日数は、ほんとうに少ないのである。

芭蕉の句に「年くれぬ笠着て草鞋はきながら」というのがある。芭蕉もなにかと忙しかったのであろう。一茶は「ともかくもあなたまかせの年の暮れ」となかばあきらめて身をゆだねる。そうしているうちに「年惜む心うれひに変わりけり・虚子」となる。

万太郎は「熱燗やうそもかくしもなしという」三、四人の忘年会で論じているのだろうか。

東京人形町の商店街は、まさしく歳末風景である。かしわ屋の前を通る時は〝半世功名一鶏助〟の句を思い、酒屋の前を通る時は〝世情冷暖杯中酒〟と口の中でひとりごとを言う。〝塵外孤標雲間独歩〟。新年号の広告を一件(軒)一件(軒)お願いにまわるのである。

●編集部注 
 東京人形町、というよりも日本橋界隈は今も変わりなく、年末になると町のあちこちに竹でしつらえた屋台があちこちに出来る。注連飾りなど正月用品を売っている。

 甘酒横丁を抜けて兜町方面に向かうと明治物産や東穀取などの商品相場街が広がっていた。いまは面影さえ残っていない。

【昭和四八年十二月四日小豆五月限大阪一万五〇六〇円・二〇〇円高/東京一万五〇五〇円・三一〇円高】