昭和の風林史(昭和四八年十二月二五日掲載分)

巨大なる暴走 二万円噴き抜け

結局小豆は市場新高値に噴き抜けよう。二万五千円、三万円もなんら問題はなく付いてしまう。

「葉牡丹の座に薄明の筆硯 舟月」

山文産業の秋山素男調査部長は『全商品は高値を更新するために存在する』という。参加することに意義を見出すのは、オリンピックの競技であるが、そのオリンピックでも、より早く、より高く―と記録に挑戦すればこそ観衆は熱狂する。

商品市場は参加することに意義を有するが、相場は市場高値を更新し、そしてまた更新するために上場されている―と喝破するあたり、慧眼ともいえよう。

筆者は、さらにもう一歩百尺竿頭一歩を進めて、全商品市場は立ち会いを停止するために存在する―と言いたい。
されば、現物を手持ちしなければならない。

小豆相場は、結局市場新高値に躍り出るだろう。

思えば昭和46年十月七日大阪小豆は二万一千三百九十円の高値をマークした。

いま、市場規模と世相と産地の状況を見れば、この二万一千円という値段は、なんら問題なく噴き抜け、二万五千円から三万円もあり得ると思う。

恐らく各穀取は種々の市場対策を矢つぎ早やに打ち出すであろうが、火のついた相場は、もっと速度が速くなろうから、市場対策は後手、後手になる。

結局は取引所相場は自粛値段で、しばられてしまう。

そのあとは現物高である。

小豆が二万五千円でしばられるか、二万円でしばられるか、それはその時の成り行きだが、現物価格は三万円になっているかもしれない。

来年の天候。石油不足による作付け面積の減少(農業機械が機能を止めてしまう)。物流の停滞。さらに激しい換物人気。仮需要の沸騰。

一ツの球根がダイヤモンド一カラットと同じ値段にまで買われたオランダのチューリップ球根騒動。

人は時々狂う。人は常に狂っているが時々、もっとひどく狂う。

小豆一俵の値が二万五千円になろうと三万円になろうとそれを、なんとも思わず買えるのは、世の中が乱れていると同次元で人々が狂っているからである。

狂った時代に狂わない人は狂人である。

懐ろをベタに買われた小豆が噴き抜ければ、失神する人も出てこよう。

●編集部注
 トイレットペーパー騒動やデマによる取り付け騒ぎがあり、テレビでは子連れ狼が流れ、書店で『ノストラダムスの大予言』が平積みされ、井上陽水の「氷の世界」がヒットする時代。何となく社会全体が殺伐としている。

【昭和四八年十二月二四日小豆五月限大阪一万六六二〇円・七〇〇円高/東京一万六六五〇円・七〇〇円高】