砂上の楼閣だ 反動安はきつい
この小豆相場は、いずれ大きな反動安がくるだろうと思う。砂上の楼閣は必ず崩れる。
「ひと恋へば野はきりさめの赤まんま 魔女」
小豆先限は買い方待望の一万六千円を付けたわけだが、買いハナになると筋店から纏まった買いものを出し、なんとしてでも値を上に付けようとするのが見え見えである。
従って相場そのものは、力に押し流されているような格好で、決して相場に力があるから高いのではなく高くしようと思う人がいるから、やむなく高い状態である。
もっとも相場は買い方の力だけで、どこまでも上げていくものでない。現在までのところ環境が強気に味方しているため買い方の市場でのテクニックが効果を挙げているに過ぎない。
産地が新穀を売ってこない。輸送事情が悪い。需要期である。インフレ人気―など今までに言い尽くされたことばかりの手垢のしみた材料であるが、ものの用に役立つあいだは、これをふり回すことが出来る。
問題は、どこまで今の状況、状態が継続されるかである。
相場が一万六千円ともなれば、生産者は文句のない価格である。一応売りヘッジすることを考えなければならないが、要は極度に悪い流通事情を考慮仕手の売りつなぎとなるだろう。
古来、相場の金言に〝値は品を呼ぶ〟というのがある。一万六千円を付けても先高期待で売りおしみをしていると、その結果は虻蜂とらずとなりかねない。
市場における強気筋は勢いに乗って面白がっているかのような手口だし、これにちょうちんがかなりついてええじゃないか、ええじゃないかの空気である。
だが、この反動は必ず厳然とくるだろう。
なぜならば、今の相場水準はあまりにも現実放れしすぎているからだ。夢を追いすぎている。産地には収穫した小豆が、そっくり山積みされている。消費地には在庫が豊富にある。
産地の現物は、いずれ売ってこなければならないものである。
今の市場の空気では相場を弱気する者は反逆者か国賊のような見方であるが、相場の強弱は自由。買い方が勝利者と決まったわけではなく、買い方に迎合する必要もない。
要は信念である。
この相場は現実放れしておると思う者は思うのだ。
●編集部註
「頑固、頑迷、落ち目の要因」という言葉がある。
平成に刊行された鏑木繁著『格言で学ぶ相場の哲学』という本の中では、この言葉が相場の戒めとして紹介されている。
含蓄のある言葉である。
【昭和四八年十一月五日小豆四月限大阪一万五九五〇円・四四〇円高/東京一万五七八〇円・三九〇円高】