昭和の風林史(昭和四九年四月二日掲載分)

悲劇こそ宿命 名を残す相場師

観衆は、どれほど巨大な経費をかけたドラマでもそれが済むと、また次なるものを求める。

「多摩の瀬の身揺れば光り李咲く 青邨」

昨48年の今時分の小豆相場は三月10日に頭を打って四月14日まで安かった。

そのあと五、六、七と騰げた。即ち板垣相場だ。

その前の年の47年相場は二月12日に戻り頭を打って四月25日まで惨落。あと六月にかけて反発したが結局九月19日まで下げた。

去年の相場を〔商社買い占め〕、〔インフレと天候異変買い〕、〔板崎相場〕、〔小豆豊作相場〕、〔石油相場〕とでもいうべきか。

47年の相場をこの式でいえば〔増山相場崩れ〕、〔小豆大豊作相場〕である。

それでは三年前の46年はどうだったか。

三月5日から上昇した小豆相場は十月7日の二万円抜けまで〔増山相場〕と〔北海道冷害〕を材料に買われたのである。

あっという間に三年が過ぎてしまっている。

われわれは過去に伊藤忠雄氏、小川文夫氏、早麻崎蔵氏という小豆相場の華やかな仕手戦を見てきた。

そしてしばらくして増山真佐四郎という偉大な相場師の出現異驚嘆した。

増山氏が舞台から降りるとインフレの申し子のような二人の巨大な相場師が脚光を浴び出した。

桑名の板崎、静岡の栗田両氏である。この二人は過去に出現したどのタイプにも属さない新しい型の相場師だった。

しかし〔相場師の持つ運命は悲劇的でなければならない〕という筆者の持つ定義は破られていない。

後世に名を残す将軍、提督が、すべて悲劇的運命を持つが如く。

それはスポーツの世界におけるチャンピオン、金メダル保持者にしても然り。

栄光のみによって人間、その名は残らない。

悲劇は神秘的に襲ってくるものだが、栄光は気まぐれに訪れる。

今一歩というところまで手がとどいた栗田しがゴム相場で、小豆相場でまたたく間に崩れ落ちた。

彼の生糸相場で見せた精神的な強靭さと、無残なる敗北とその後の鬼神もこれを避くかと見まがうばかりの栄光の勝利。運命は、あまりにも意地悪く持ってまわる。

われわれ参観席の観衆は遠いところの出来事のように見守る。

観衆は常に厭きっぽいものである。どれだけ巨大な制作費をかけたドラマでもそれが済むと次を求める。

●編集部註
相場師の運命が悲劇的なのではない。生涯相場師で居続ける事が困難であり、悲劇を生みやすいのだろうと思う。

【昭和四九年四月一日小豆九月限大阪一万五三六〇円/東京一万五三九〇円】