昭和の風林史(昭和四九年十月十七日掲載分)

興ざめの市場 先ず輸血の必要

次の幕があかない。しらけた空気が市場を包む。どういう結末になるのか、余談を許さない空白の時間。

困ったことだ。観客は次の幕明けを今や遅しと固唾をのんで見守っているが、どういうわけか、その気配がしない。

しびれを切らして、口笛を吹もの、あまりの退屈でアクビをするもの、場内は次第にザワめいてきたというのに、幕内はシーンと静まり返ったままだ。

小豆市場は、はげしく燃焼しないまま、秋の風が吹き、暦の上では一カ月も経たないうちに、激しい冬の季節を迎える。

主役不在。いや、脇役さえも、くたくたに疲れ果てている。貧血症状のもの、腹痛を訴えるもの、そして一様に極度の不眠症で眼を真赤に充血させている。

研ぎすまされた感覚を持つ相場師は、厚い幕を透して、その光景を察知する。そして興ざめのしらけた顔つきで席を立つもの、ある者は黒くいぶり、ぶすぶすと不完全燃焼している結末がどうなるか、それにより遠い将来の青写真をどの程度修正したらよいかを考える。

あまりにも神経をすり減らした今年の天候相場であった。

その弊害は随所に現れている。

一時しのぎの鎮痛剤を打つか、モルヒネで死の苦しみを逃れるか―。いずれにしても早急に濃度の高い血液を輸血せねばならない。

予断はいささか許されないのだ。

もっとも過酷な刑は眠らないことだ―と言われる。あまり〝長い戦い〟で脳の中毒を引き起こし、神経細胞は活力を失っている。

相場は百六十一万俵の収穫予想を、産地からの新穀の売り物が活発化しているのも織り込んだ値に届いている。もとより砂糖のバカ高値が小豆需要に影響しているのも、先刻承知だ。

恐らく、その他、どんな外部材料も厳密に言えば、これ以下に叩く要因にはなり得ないはずだ。

それよりも怖いのは〝場勘戦争〟である。

われわれは仕手と呼ばれる筋が、こんな値段で…と思う安値でぶん投げ、そして底入れする光景をしばしば見てきている。

相場は計算ではない。百円、二百円が耐えられない苦痛の場合があるのである。

いい知れぬ不安感は場を一層さびれさせる。

再び言う。予断は決して許されないのだ。

●編集部註
 天災は忘れた頃にやってくる。この年の九月、ズドンと来た相場が十月頭にズバンと上がった。
 こんな時は要注意。遅かれ早かれ二番底を取りに行くズドンが。関係ないが欽ドンの前身番組はこの頃に始まっている。

【昭和四九年十月十六日小豆三月限大阪一万六四一〇円・一四〇円安/東京一万六五一〇円・一七〇円安】