昭和の風林史(昭和四九年十月二二日掲載分)

動かざること まさに山の如し

鳴かず飛ばずの相場に手を焼いている。そしておおかたの人は崩れるだろうと思っている。

「浅間越す人より高し吾亦紅 普羅」

売っている人の玉も、買っている人の玉も儲かっていない。弱気は戻り売りを唱え、強気は突っ込み買いを言う。

名古屋米常の安田祥雲斉氏は「九月28日の安値で完全に大底が入った。市場人気は交易会成約などの様子を気にして弱いが、相場そのものは非常に底堅い、私は信念を持っていまの小豆相場を強気している。出回り遅れや鎌入れ不足などの現象が、いずれ表面化して年末にかけ、反騰する場面があると思う」。

すでに現在の小豆相場は、あらゆる材料を言い尽くされた。そして昭和50年の事まで言わなければならぬありさまだ。

それでも相場は動かない。煮ても焼いても、箸にも棒にもかからない。

こういう時に昔の人は〝売るべし、買うべし、休むべし〟。いまは休むところだ―と教えた。

休んでいては商売にならないのは、なんの商売でも同じである。取引員各社とも、商いが低調の時に、投機家に休まれてはたまらない。

と言って動かぬものを据えて、その前で腕を組んで睨んでいても念力で相場が動くはずもない。

東穀の森川直司企画室長は、真冬でも毎朝、頭から水を十杯ぐらいかぶって、そのあと座禅を組み瞑想する。だから顔つきがだんだん禅僧のように悟ったふうになる。時には山に篭って厳しい修業もする。山に在る時は迷いがないと言う。山から下りると少しだけ迷いが出るそうだ。まだ修業が足りないと自分でいうから正直である。それでは、悟りの境にある山に居る時なら、きっと小豆相場も見えるはずだから電話して欲しいと依頼したところ、だから俗物は困るという顔をした。山中の修業場に電話などない。修業しているのは相場の予言者になるためではない。

きっと森川氏は世界平和のため毎日念仏を唱え水をかぶるのだろうと思う。

ところが相場評論家であり指導解説者である林輝太郎氏になると森川氏同様の修業もし、水もかぶるが四次元の世界の探検で先の相場が判るかもしれないという期待を持って念仏を唱え座禅を組むが、いまのところまだそちらのほうの成果がないようだ。

●編集部注
 余程書く事がないのかなと、当時の日足を見る。

 二カ月間の大下げが終わり、九月末に七営業日急騰して星が出現する。

 そこからは陰陽陰陽の鯨幕相場。十月頭のマドは埋めたものの、上がるに上がらず、下がるに下がらず。鬱屈している。 

【昭和四九年十月二一日小豆三月限大阪一万六二七〇円・一六〇円安/東京一万六四八〇円・一七〇円安】