魅力なき相場 人気離散も当然
相場に情熱が持てなくなって久しい。小豆相場にあった魅力が、まったく失われている。
「白湯ふふむくちほのぼのと風邪薬 舟月」
ふり返ってみると、今年の成績は、散散であった。成績とは当欄の小豆相場の強弱である。
カネツ商事の清水正紀氏は『なんだい風林は。手張りして、買い建ての時は強気ばかり書く。業界のみんながそう言ってるぞ。そのあげく借金してまわって。強弱は曲がってばかりじゃないか』と、おっしゃる。
いや面目ない。
曲がり通しは、これは版に認めるところだが、清水さんの言うのは少し違う。
手張りは一枚も、もうしていない。相場はピシャリと断った。いうところの相場離れである。
だから、読者はよく御存知で、例えば豊栄の小田社長にしても新東通商の高橋茂氏でも、また大同物産の山田社長も、面と向かって『風林の記事は相場張っていないから死んでいる』と言う。
少々ぐらい玉を建てて、のたうち回っているほうが記事に迫力があってよろしいと言うけれど、数年前までは、あれほど熱中した相場も、今では遠くから見る事が出来る。
だから小生が借金に回るのは相場と、なんの関係もない。
借金するのは、集金の日、即ち取引員の支払い期日がどんどん先に伸びる。20日締めの月末払いなどという店は非常に少ない。
20日締めの五日払いならまだよい。十日払い、二十日払い、ひどいのは一カ月据え置きなどというのもある。従って、この間のツナギが必要になる。
支払い日が先に先にのびても社員の給料の支払いや印刷費などをのばすわけにはいかない。
まして年末は大変である。新年号の広告の集金が一月中、下旬にならないと現金にならない。
従って小生の借金は、現がまわってくるまで、代行会社から現物を借りてくるようなものである。決して清水さんのいうような相場の損なんかではないが、世間は恐らくそうは見ないだろうと思う。
だから襟を正し、うしろ指を指されないように気をつけているが、金繰りというものは、いくら姿勢を正していても都合よくいくものではないから難儀だと思う。
もとより相場記事をおろそかになどしていない。相場新聞は相場記事が生命である。真剣であるけれど曲がりだしたら、どこまでも曲がる。これはどうしようもないのである。
●編集部註
夏目漱石の弟子に借金の大家がいる。彼の借金に関する随筆を読んでいるかような文章である。
【昭和四九年十二月十八日小豆五月限大阪一万六一七〇円・一三〇円安/東京一万六〇六〇円・二四〇円安】