昭和の風林史(昭和四九年十二月十一日掲載分)

動意なくんば 動くまで待とう

死地に陥れて而る後に生き、之を亡地に置いて而る後に存す―というような穀物の市場だ。

「菰を巻き皇居の松の冬支度 恒明」

武田商事の武田社長は飄飄乎としている。

事務所が狭くなったので近くの新ビルに一部を移転。取引員の分室設置は主務省の許可が要る。

武田社長はその事を忘れていた。許可なしに移転して叱られたらしい。

武田氏は東繊取の協会のほうの会長である。『えらいことをしてしもうた』と手の平で、おでこをペタンと叩いた。

武田氏は俳人である。その生活は俳句の中にある。

筆をとれば枯れた字を書く。行く所、行く所から絵葉書を頂戴する。

暑い七月の終わりに興和商事山中国男社長のご案内で武田社長と甲府にある飯田竜太氏の〝山廬〟を訪ねた。

飯田竜太氏はお留守であった。筆者は飯田蛇笏氏の句が好きだ。

山田国男氏は雑誌〝雲母〟と山梨県の地図を車の中でくれた。地図には赤鉛筆で行く道筋を記してある。

〝山廬〟は炎天の中にがっしりと、そして森閑としていた。庭に鳳仙花が燃えていた。

武田さんは(俳句の)デッサンに余念がない。小生はサド屋の葡萄酒が楽しみである。

武田さんは時々、遠まわしに小生を叱る。なにげない言葉の中に戒(いまし)めがある。きのうも「少煩多眠、少怒多笑、少言多行、少欲多施―」と手紙を頂いた。「少肉多菜、少塩多酢、少糖多果、少食多噛、少衣多浴、少車多歩」にかこつけて。あんまり怒るな―というわけだ。

相場のほうを見ると閑である。

小人閑居して不善をなす。

小人玉を抱いて罪あり。

閑が続くと、そういう言葉が思い出される。

ウォール街の魔術師といわれたジェラルド・M・ロープは「出来高が少なく、市場が細っている時こそ、投機家は、チャンスが獲得出来る」と言っている。

年末ギリギリに、ひょっとしたら小豆に目の覚めるような、買われる場面があるかもしれないと筆者は思うのである。

淋しき里にいでたれば、ここはいずこと尋ねしに聞くも哀れやその昔、亡ぼされたるポーランド。栄枯盛衰の習い、その理は知らねど、かくまでも荒るるものとは誰か思はん夢にだに(ポーランド懐古)。

●編集部注
言葉は生き物である。

先日、古川ロッパが昭和二二年に書いたエッセイを読み、「とても」という使い方がこの頃の流行と知る。

「千載一遇のチャンス」という言葉はこの年の流行語だった。石油ショックから来ている。

平成二八年の辞書編纂者が選んだ流行語は「ほぼほぼ」だそうだ。

【昭和四九年十二月十日小豆五月限大阪一万七〇五〇円・一〇〇円安/東京一万七〇二〇円・七〇円安】