慚愧また慚愧 歳末に後悔せり
本当の事を言って、まったく相場が見えないのである。一寸先も見えない。どうしたもんだろう。
「紙を漉く戸に水青し吉野川 木國」
各商品次次と当限納会が終わって28日大納会まで正味一週間になった。
下関、小倉、博多と九州を回ってきた。
相場のほうは18日の安値で底入れ型であるが、下げ過ぎたと見られる分だけ戻すのであろう。
小倉の西田三郎商店の中村太蔵氏が『ちかごろさっぱり風林の記事が冴えない。昔のように読む者をしてピリッとさせる記事をわれわれ風林党は期待している』と、手厳しいお叱りを受けて帰ってきた。
そうしたら田山の山本博康先生から『どうだい』とお電話がかかってきた。『原稿が済んだら、お昼でも一緒にどうだい。小生本日は、まったくなんの予定もない。師走忙中の閑。一盞やろうと思う。実はここ両日、君の記事はまったく駄目だ。察するところノイローゼ気味じゃないか。相場観はトンチンカンだし。出てきたまえ。きつく叱りつけてやる。アハハ…。そういう口実でお酒を飲もうよ。天婦羅でいいかい』と。
自分では、相場がこんなぐあいだから強弱だって書きようがないと思っているが、確かに先限小豆で千五百円下げたのだから、この相場を見通す事の出来なかったことは相場記者としては失格である。
このあたりで初心忘れるべからず、昔のように相場の記事に心根(しんこん)を傾けないと、いよいよ墜落してしまうぞ―と自戒するのである。
相場記事は当てなければ駄目だ。筆者は、強弱原稿を書くのに、一体どのあたりから墜落しだしたのか反省するのだが、それがどうも判らないから困る。
友人である東穀の森川直司氏や菊池栄氏に一度相談してみようと思う。彼らは、きっと山に登って水をかぶれというだろう。朝三時、滝に打たれて、一、二時間読経、そして座禅を組む。朝食は一汁一菜。その話は以前から聞いているし、一緒に修業を積もう―とすすめられているが、夏時分なら水をかぶってもよいが、いまは、ちょうど時期が悪すぎる。
などと、きょうも、うだうだと、また書いてしまって後悔するのである。
●編集部注
レガシーという大義名分で、何もかも壊して、立て替えればそれでいいという問題ではない。
何の話をしたいのか。
昔、大阪の相場街、北浜一丁目にあった西田三郎商店のビルの話である。
どんなビルか、ネットで検索してみると良い。
【昭和四九年十二月二十日小豆五月限大阪一万六三九〇円・四〇円高/東京一万六二八〇円・二〇円高】