昭和の風林史(昭和四九年十二月二七日掲載分)

峻厳な大発会 全商品売られる

大発会は全商品安かった。峻厳な発会である。出足は慎重なほうがよい。本年の厳しさを知る。

「木曽を出てこの三宝のかさり炭 子規」

長いお正月休みが明けて商品市場は六日大発会。生糸、乾繭、毛糸、ゴム、穀物、すべて安い。

四日土曜に発会した証券市場も世相の厳しさを反映して安かった。

昨年の大発会は希望に燃え、御祝儀気分も手伝って景気よく買い上げた小豆相場だった。

そして六月限は一万七千七百八十円(大阪)と五月限に四百三十円のサヤをつけて生まれた。

(東京六月限は一万七千六百二十円で生まれ四百四十円のサヤだった)

今年は東京、大阪両市場とも百二十円ザヤしか買い切れなかった。

この事は、手亡についても言える。

なんとも厳しい市場の表情で、昨年のように浮いたところがない。

しかし、出足は、このように慎重なほうがよいように思う。始めは処女の如く終わりは脱兎の如しという。

大正四年(乙卯)二月生まれの山大商事の杉山重光社長は『今年は当たり年だ。強気一貫で信念を貫く―』と。

大阪穀取理事長の中井幸太郎氏が明治三十六年癸卯の生まれ。

カネツの清水正紀氏も大正四年の乙卯である。

そしてその下が花の昭和二年組が丁卯である。

〝商業界循環羅針盤〟によると世の中の景気は、およそ次のように循環する―とある。

富足。騎慢。奢侈。淫暴。禍変。困窮。悔悟。難苦。節倹。貯蓄―と一巡して、またもとの富足に戻る。これは人生についても言える事である。

昨今の世相を見ていると、ちょうど困窮→悔悟→難苦→節倹という段階ではなかろうか。

さて新しい一年が始まる。昭和50年は投機の時代。

お屠蘇気分も早々に抜いて、峻烈峻厳な相場に対処しよう。

●編集部注
 昔商品取引員に勤務していた頃、大納会と大発会は前場で取引が終了。午後から社長や会長の挨拶があって、その後に酒と鮨が振舞われていた。

 今から十数年前の大発会の時、金相場が寄りから売り込まれてストップ安に。決済売り注文も入らぬ地獄絵図になった。

 お客様と追証の算段でフロアに怒号が飛び交う。前場終了後は追証を取りに出かける外務員が殆どで酒や鮨どころではない。

 隅に置かれた鮨桶の中で握り鮨は虚しく乾き、揚げ物は冷め切っていた。

 夜半に会社で食べたあの鮨の不味さは忘れない。

【昭和四九年十二月二七日小豆五月限大阪一万六六〇〇円・一二〇円高/東京一万六七〇〇円・二三〇円高】【昭和五十年一月六日小豆六月限大阪一万六四八〇円/東京一万六五一〇円】