千円棒黒々と 一本叩き込まん
こんな事をしていると押し目でなく崩れがくるのではないか。千円棒を黒々と叩き込まん。
「さみだれのあまだればかり浮御堂 青畝」
四連休明け後は、ボソンと気の抜けてしまった市場で、まったく閑である。
そして商品全般なによらず前二本。五、六月限がよくない。
この二本の限月は昨年12月の〝石油相場〟と〝大発会御祝儀相場〟で高値掴みになっている。
だから、どの商品に限らず、五月限と六月限が落ちないことには(納会しないことには)腰が重い。
ここに来て小豆相場は『崩れるのではないか』と警戒人気が強まっている。48年産小豆現物の重味が、ようやく感じられる市場だ。
無理をすれば一万八千円でも九千円でも付け〔られ〕るだろうが、それは大勢に逆らうことで、付けた値で逃げる(利食う)事は出来ない。
同志の活用で未然、連用、終始、連体、過程、命令と六ツの活動がある。
一万九千円を付ける。
付けられる、と、付くとでは大いに違う。
ら(ろ)、り、る、る、れ、れ(れよ)。
付けろ、付けり、付ける、付けれ。
付けてみせる―は勢いである。採算無視になるかもしれない。
付けられる―は可能性と自信のほどがうかがえる。
しかし以上二ツは価格操作になる。なり。なれ。なろう。
付けろ、付けれ―は命令形である。
付く、付かんは時の運。別れろ、切れろは真砂町の先生で、相場と関係ない。
れ、れ、れろ、れろ―などと助動詞活動をやっていると頭が変になってくる。
木の芽時は用心するに越したことはない。三宅応人先生の句に木の芽和いよいよ母の耳とほく―とある。
付くまで待とう二万円。付けてみせよう二万円。この違いである。付けてみせよう付けられる。しかし、それをしてなにになる。
見渡せば閑である。深閑である。
下げて九月限の六千七百円あたり。黒々と一本千円棒をぶち込むところだ。
いま、中途半端に値を維持している分だけ、あとになって〝どか降り〟になりそうだ。
待つは仁―と古人は教えた。駒鳥の鳴くが如き下げが入ろう。
●編集部註
本当に暇である心情が行間ににじみ出ている。
サプライズというものは、どんな事象でもこういった場面で置きやすい。 先ず地震が起きて、その後、小豆相場も揺れる。
【昭和四九年五月十日小豆十月限大阪一万七四二〇円・九〇円安/東京一万七三九〇円・一〇円高】