昭和の風林史(昭和四九年二月二日掲載分)

強烈なる反撃 今が好買い場!!

小豆相場は単に赤い小さな豆という狭い範囲内での相場ではなく大きな役目を持って動くだろう。

「春めくや庇の影の古障子 南風」

物不足が解消したといっても、いつまたどうなるか判らない危険を常に持っている日本経済である。

石油危機が量の面で解消されても、石油問題の発生する以前から内蔵していた日本経済の危機は、なんら解決していない。

にもかかわらず、石油事情が緩和したから、すべてがうまくいくように思ったりするのは、緊張の極地からの解放感と、為政者のたくみな人心操作によるすり替えがなされているからである。

投機、買い占め、便乗値上げ、つくられたモノ不足―という、一連のわけの判らない事態の進行は、決して〝石油危機〟の結果ではなく、石油危機に先立つこと、およそ一年前から進行していた現象で、たまたま石油危機でこれがエクスタシイの極点に早く達した(ように見えた)だけである。

その後遺症として、あらゆる物価は高騰したままだ。

砂糖も洗剤も灯油もロールペーパーも確かに出回っているが、注意してそれらを眺めればそこには不自然さがあるはずだ。

去年は二~三月。六~七月。十一~十二月と三ツの大きな狂乱の波があった。その場面、場面によって主役は〔大豆、毛糸、木材〕。〔電線、塩ビ、紙〕。〔灯油、洗剤、砂糖〕等、顔ぶれは移り変わったが、そのどのサイクルのピークにも、商品先物市場の人気商品である小豆が、同じように熱狂した。

この事は、土地、油絵、ゴルフの会員権ブームの時にも言えた事で、小豆相場は単に赤い小さな豆の相場ではなく、

完全に〔流通性〕のある〔信頼〕された〔大衆が身近に〕感じ、〔換物〕の対象となる〔最も機能的〕な品物として、また、取引所はヘッジの場所として十二分に利用している事が判るのである。

過去、少なくとも昭和四十七年前半までの小豆相場は、単に〝赤い小さな豆〟という範囲内での商品としての投機対象物件に過ぎなかったが、四十八年初頭以後は、格好のインフレの、時には黄金にも勝る有望な品物という信頼を掌中にしたのである。

この事は今後とも持てる機能を発揮こそすれ、単なる赤い小さな豆の相場に戻ることはなかろう。

●編集部註
リーマンショック後とそれ以前、バブル景気後とそれ以前という具合に時代の節目となるイベントが幾つか存在する。

石油危機後とそれ以前の流れもまた然り。従来の価値観が崩れ、新たな概念が生まれ、その概念がデファクトスタンダードとなり、何かと柔らかい頭が求められる局面。

それは、後々気付く。

【昭和四九年二月一日小豆七月限大阪一万四九三〇円・東京一万四六六〇円】