値固めを待つ 小高下底練りへ
遊んでいるお金があるわけじゃないが、もしあればこのあたりからの小豆の買いが報われそうだ。
「木曽川の岸に洗へる障子 たけし」
長かったのか、短かったのか判らないような天候相場は終わりを告げて、需給相場にはいる。
今年の相場で儲けたのは誰だろうと、よく話題に出るが、さあて、三晶さんぐらいか―ということで落ち着く。誰も彼も、ポケットの中が軽くなった。
思えば月日の経過は早いもので、高値を買って電線にひっかかったままの破れ凧のような因果玉も期近に回り、月末30日は名月を取ってくれよと泣く子かな。名月や座頭の妻の泣く夜かな。十五夜であり決算期末で泣く人も多かろう。
人々は今の小豆相場をどのように考えているのであろうか。百六十一万俵という数字は樫の棒で脳天をぶん殴られたようなもので脳波が狂ってしまった。
いうなら気力的失神状態である。
相場は、このような時こそ儲けのチャンスである。売り主力は鳥なき里の蝙蝠であった。
昨年の小豆相場の天底は〔七月13日→九月11日〕であった。本年〔七月26日→?〕である。もし天井が昨年七月13日→本年26日で遅れる事十三日なら底も九月11日―遅れる事十三日の九月24日というわけで、三連休明けの24日火曜日の安値を大底と見ることが出来ようし、昨年の九月11日は仲秋の名月だから月末30日の十五夜あたり月々に月見る月は多けれど月見る月はこの月の月の大底となる。
しかし、今はまだそういう事を言ってはならない。相場の見通しがはずれる。即ち曲がり屋である。曲がり屋は蟄居して時の流れで、ぐにゃっと曲がった強弱がそろっと伸びて、まっ直ぐになるのを待たねばならない。菅公配所の心境である。生産者コストや米価との比較など、むやみに振り回すなど潔(いさぎ)よいものでない。
鳥の将に死なんとする、その鳴くや哀し。人の将に死なんとす、その言やよし。相場に曲がりたる、その強弱やなし。
相場とは追いかけるものではないと教えられた。相場は待つものである。
値段としては一万六千円どころの小豆は、まあこのあたりだろうと思える。しばらくは小高下で横に這うところか。
●編集部注
相場は待つものなれど羹に懲りて膾を吹くが如く大変動直後の相場は低調になりやすい。PGM相場がそうであった。
ところで、先般記事で登場した西田昭二氏。如何なる御仁かは鍋島高明氏の『マムシの本忠』(パンローリング)をお読み戴くとして、07年にある会社のLBO譲渡で登場していた事を思い出した。
【昭和四九年九月二六日小豆二月限大阪一万六〇〇〇円・二五〇円安/東京一万六〇九〇円・二三〇円安】