昭和の風林史(昭和四九年三月十九日掲載分)

ふーりん東南アジアを飛ぶ クアラルンプール10日発 鏑木発信

来るときに持ってきた手許の温度計は34度を示している。

時間がだいぶ余ったのでガイドさんが気の毒という顔でクアラの市内見物を提案。戦勝記念塔(共産ゲリラとの戦い)、博物館、回教徒寺院等を回り、夕方からの加商、野村貿易の現地駐在員を招いての夕食時の懇談会に皆が期待していた。

★連絡不充分でヤキモキ
一方この商社駐在の方との打ち合わせ連絡がまったく出来てなかった。

東ゴム取の内田氏は朝から躍起になっている。オフィスに電話しても、われわれが来ることを知らないようだ。目的の人は出張して不在。手違いと言うものはよくあることで、誰が悪いわけでもない。

八方手を尽くして、やっと加商の庄司孝夫支店長と連絡がついた時は、もう夕食の場所に集合している時だった。

ホテルから少し離れたところの中華料理店で、食事の終わるころ内田氏がその方と一緒に入ってきた。

庄司氏は突然のことでびっくりしている。

いま遠い所で仕事をして帰ってきたところで、これからもう一件の仕事が残っているとのこと。

われわれを気の毒に思ってくれたのか、それでも気持ちよく四、五十分マレーシアのゴム事情の説明を行い、次次と出る質問にきわめて配慮した応答を行なった。

★爽快!イポーの朝雨
いま、この原稿はイポー(マレーシア第三の都市)の相模工業有限公司を訪問すべく、ゴムの樹の中の一本道の幹線道路をフルスピードで疾走しているバスの中で書いている。

昨日の不快な出来事は明け方からの雨で洗い流されたように見受けられる。

日本軍がこの道を南下してシンガポールに向かったという道である。

冷房のよく利いた快適なバスは時速65~70マイルで突っ走る。市内を出ると速度制限はない。およそ時速一〇〇キロである。

さすがゴムの国、アスファルトには〇・二%のゴムが含まれているそうで、タイヤの摩擦音が違う。

★かつての道を今北上
第25軍山下奉文中将率いる第五師団、久留米の第十八師団、近衛師団の精鋭五万の将兵がシンガポールを目指して進んできた道をわれわれのバスはいま北上している。

ミルクコーヒー色をした川を渡る橋には銃弾の跡が残っている。

12月8日コタバル、シンゴラ、パタニに上陸して南下した日本軍の中に自転車部隊があった。いわゆる銀輪部隊である。

話によればこの自転車のタイヤが溶けてしまい、リムだけで走るため、その音が大戦車部隊が来るように響いて英軍は驚いたそうだ。

★〝客車〟青々緑色新!!
バスの中では誠和商品の小林十七八氏が持参したサントリーのオールドウィスキーが回し飲みされ、これも小林氏持参の奈良漬や大根の糠漬けその他数種の漬物が歓迎されている。

これから訪問する相模工業は人口問題で悩める人類にとって、特に東南アジア等高進国には必要不可欠の製品を造っているいるゴム製品の工場である。

窓外の緑は体に染まりそうに鮮やかだ。雨もあがったようだ。