新穀買い一貫 〝昭平〟ここにあり
相場が迷うと人々も迷う。そういう時、誰ともなく霜村氏は、どう見ているのだろうか?と問う。
「鮎掛けや浅間も低き山の中 碧梧桐」
山梨商事の霜村昭平氏社長は天井の低いオフィスは大嫌いで、自社ビル建設に当たっては、同社使用の一、二階の天井を思い切って高く設計した。
近年、どのビルのオフィスも経済効率を考えるあまり、各階とも背伸びして手を伸ばすと天井にとどきそう。なんとなく頭つかえである。相場師・霜村昭平氏ならずとも天井の低いのは気になることだが、思い切って天井の高いオフィスをつくったあたり愉快な話だ。
ところで業界の昨今『この相場、山梨はどうみているのだろう』、『霜村さんは強いのか、弱いのか?』と、専ら山梨の動向に関心が集まっているのも、市場が閑になった事や天災期に強い山梨が目の覚めるような動きに出るのではないかという期待があるからだ。
孤独な相場師・霜村昭平氏は鮎の解禁とともに月曜以外は一人山中にあって釣糸を垂れているのであるが、その相場観を問えば左の如し。
『私は、49年産小豆は一万七千二百円以下なしと見る。三日新ポの生まれは、なまぬるかった。どのようなサヤで生まれるか刮目していたが。格差千円。やっと買ったような感じだった。しかし49年産小豆は山買い、調整、運賃その他で少なくとも三千円の経費がかかろう。消費地二万円としても農家手取り一万七千円。これを反収二・五俵として四万二千五百円にしかならない。米価は一俵60キロ庭先で一万三千五百円ぐらいになろう。反収八俵として十万円のものだ。
私は、このままだと昭和50年の小豆作付けは一万ヘクタールは減反すると読む。
在庫面では去年、私はザラバを大量に買って産地から現物を引き、今時分消費地八十万俵の在庫となった。しかし今年の場合、三十五万俵在庫と去年の半分以下だ。どだい百九十万俵収穫という数字自体が魔もので、論議は分かれるが、私は49年産百七十万俵収穫と見ている。これが今後モノを言おう。
新穀相場の千円下ありと見ての買い下がり方針。49年から50年にかけての大投機計画である。信念を持って私は息の長い強気方針を打ち出す』―と。
投機のマーチが高鳴る。
●編集部注
インターネット全盛の現代は、調べれば何かしらの情報はヒットする。
「霜村昭平」という名前を検索してみるとどうか。
「実録 相場師 霜村昭平 相場を張るために生まれた男 12歳で株式欄を読む」と出てきた。いつもお世話になっている鍋島高明氏のルポタージュの題名であった。
【昭和四九年六月三日小豆十一月限大阪一万八一〇〇円・東京一万七九五〇円】