相場に力ない 戻れば再び売る
戻りがあっても需要不振の続く限り再び売られる。場面は戻り売り。崩落含み―というところ。
「初河鹿遠きはまぎる瀬の音と 湘子」
小豆相場を売っていた大衆筋は、ぼつぼつ利食いしている。問題は、この利食いしたあと、強気に転換してくるか、それとも戻り売りを待って、もう一度売り直してくるかである。
大衆筋が値ごろ観で買ってくるようなら、そのあたりから、もう一段安があるとみるのが相場定石だ。買えば下がり、売れば上がるのが相場の常。
天災期に入っているのだし、生産者価格も上昇する。新穀11月限は一万七千円があるとしても、買い方針で対処すべきだ―という基本的な考え方は、かなり説得力のある相場観であるが、現実に需要不振で期近限月が値崩れしていては、投機のトランペットも高鳴ることはない。
先限買いは仮需要という人気である。ところが人気と言うもの甚だ気まぐれで、昨日勤王、明日は佐幕、その日その日の出来心―。
思えば、早過ぎた買い人気である。
しかし、あの時点では、あれでよかったのかもしれない。
二万円だ、二万五千円だと期待した。即ちこれが人気である。
いま小豆の門前零落して鞍馬稀なり。雨中涙あり亦た凄惨、月下人なくしてさらに静淑。
人気が冷めてしまっている。ある人は、いまの相場にコクがないと言った。
しかし、これも相場だ。
いや、これが相場なのかもしれない。話題になるような仕手の活動も静まり返った。
在庫が多い。売れ行きが悪い。不需要期。ということであれば価格は崩れる。
わずかに天候懸念ということで投機思惑の買い物が入るけれど、それとて今の段階では、大きな上値を期待していない。なにかあって噴いたら逃げよう。利食いしようという目先狙いでしかない。
ある人は言う。去年は六十万俵の消費地在庫をかかえて相場は高騰した―と。だが、去年は燃えるようなインフレムードと、あふれるような過剰流動性資金とか、穀物市場に流入していた。
去年と本年の経済環境がまったく変わっている事を知らなければならない。従って需要不振という圧迫感が、ぬぐえるまでは突発的な戻りがあっても再びまた売られることであろう。
●編集部註
天災は忘れた頃にやって来る。相場急変も同じ。
それを我々は、先週のNFPの数字で嫌というほど思い知らされた。
確かにこの時、相場は戻せば売られた。ただ、急変は突然やってくる。
【昭和四九年六月七日小豆十一月限大阪一万七四六〇円・一三〇円安/東京一万七二九〇円・二一〇円安】