昭和の風林史 (昭和四九年六月五日掲載分)

暴落は必至!! 音たてて崩れん

売る事の怖さという面を考えた場合、今年はそれほど怖いと思わぬのは水準がすでに高いからだ。

「風鈴屋老の弱腰たてにけり 蛇笏」

昨日の当欄霜村氏の記事中、終わりから10行目、49年産百七十万俵とあるのは48年産百七十万俵のミスプリント。49年と48年とでは大違いだ。世間では百九十万俵の収穫があったと思い込んでいるが、私(霜村氏)は百七十万俵の収穫だったと思う―ということ。従って強気の立場である。

筆者は思うのである。この小豆相場は、このままでは上げづらい。仮りに高くなろうと、息が続くまい。

低温、降霜などの材料で突飛高があれば、買っている人は横っ飛びに利食いしてしまうだろうし、売り方は絶好の狙い場として売ってくる。

ドカ下げ。即ち屋根の上から〝ばけつ〟を転がすが如きガラガラ下げ。そういう場面がありそう。

ただ、取り組み面で、あまりにも売り過ぎているのが、崩れを食い止めているようで、線型にしても日一日と暴落近しを濃くするがそれだけに、誰もが売りたがらる。

売られた(取り組みの)相場は下げないものだが、一概にそう決められない。売られていようと、店が食われようと相場は非情冷酷。崩れる時は崩れる。

考えてみよう。人気が離散して、仮需要が湧かない。いまの水準を強気して千円幅が取れるか?という値幅と、相場の居所の問題。確かに物価は再び上昇する段階に来ている。生産者コストも大幅アップする。また、天候不順等の天災期でもある。
売る事の怖さは誰でも承知しているが、同じ売る事の怖さにしても、今の水準での怖さなら、せいぜい千円か千五百円幅の怖さでしかない。そこのところが、去年、一昨年の売り方と違うのである。

半面、強気する側にも言い分はある。下げて新穀(11月限)の一万七千円までのもの。

あるいはそうかもしれない。天候を五分五分、平年作と見ても―だ。

そうなると、当面考えられることは、小さい相場じゃないかとなる。

それでは面白くない。もとより相場に面白おかしいものを求めるのが間違っている。相場は神聖にして犯すべからざるものだが、崩れるのではなかろうか。ガラガラ音をたてながら―。

●編集部注
 この当時は値幅制限というものが存在した。

 小豆相場は解け合いも経験している。暴落の事を業界用語で〝ガラ〟と呼ぶが、参加者はガラ慣れしてる。

【昭和四九年六月四日小豆十一月限大阪一万八一四〇円・四〇円高/東京一万八〇四〇円・九〇円高】