昭和の風林史 (昭和四九年五月三一日掲載分)

動かざること 山の如し、だが…

取引員が優劣を競うのはこれからである。二、三カ月だからと泣くようでは先が見えている。

「夏来たるひときわ高きけやきかな 融」

小豆十月限の動いた値幅は九百円ばかりである。値ごろ水準が一万七千円。この一割も動いていない。

十数年前、小豆相場の水準が六、七千円の時代があった。その当時でも一カ月に六、七百円幅の動きはあった。一割程度は高下したものである。

市場が閑になるのも道理である。

どこを売ろうと、どこを買おうと大きな損はしないが、妙味もない。

こんな閑なときに、二度、三度売り買いすると手数料ばかり目について嫌気がさすものだ。

規制緩和が刺激になって放置されていた手亡の相場に人気が少しばかり移ろうとしている。

手亡も下げたものだ。値段も高値から四千五百円ほど安くなっている。

しかし、商いが、あまりにも細いため、僅かな売り玉、買い玉で値が高下していかに市場が淋れているかが判る。

六月に入れば―という期待が、いまの市場のよりどころである。

お金が詰まっていることも閑な原因である。相場の居どころも、手が出ない要因である。天災期を控えて売るのは危険。買うには水準が高すぎる。

在庫は豊富。品物は売れない。投機家は萎縮してしまう。取引所は規制の緩和ということに関しては臆病である。

一方、生産者コストは上昇している。電力、運賃、米価等は値上がり傾向。そういう時に小豆相場が崩れれば、これは絶好の投機思惑の対象となるだろう。

取引員は新入社員の研修も終えて新進営業マンが第一線で活躍する時期だが、市況がこんなに停滞して金詰まりがきつくて仮需要人気もしぼみがちな時、新人セールスマンでは、まったく歯がたたない。

取引員各社とも悩み果てなしという表情であるが、企業基盤の厚いところは、たかが二、三カ月閑だからと、泣くようなことでは一流
取引員の資格なし。取引員という商売は閑な時もあれば有赴に入る時もある。

幸い穀物は天井相場に突入する。優劣を競う勝負はこれからである。

相場なんて、閑な時は閑でよいのだ。それが相場である。

●編集部注
一見達観したコメントのように見えるが、内実はイラついているのでは。自分に言い聞かせている観が強い。

天災は忘れた頃にやって来るといわれる。天井も、得てして忘れた頃にやってくるものである。

【昭和四九年五月三十日小豆十月限大阪一万七二二〇円・二〇円安/東京一万七二五〇円・一〇円高】