昭和の風林史(昭和四九年二月六日掲載分)

打たれ打たれ 鬼気迫るものが

哀猿啼くこと一声、客涙林叢にほとばしる。呻吟、また呻吟。相場とはこういうものである。

「如月や人の華燭の銀の匙 千枝子」

相場だけは〝もうまいった〟と言っても堪忍してくれない。だから相場は非情とか相場の世界は厳しい―と言われる。

筆者は長年相場記者をしている。だから相場する人の気持ちが手に取るように判る。特に〝打たれて〟いる人の気持ちは人ごとでないほど身につまされる。

呻吟(しんぎん)。うめきである。

後場三節が済むと、ほっとする。これで明朝九時まで相場が建たない。

ちょうど、借金取りに追いまわされて事務所に帰ってくる事が出来ない。事務所にも借金取りが居据わっている。

行くあてもない。ようやく夕方になって外灯がポッとつく。外灯がついたのを見て、ホッとする。今日も終わった。借金取りも帰りよっただろう―と。

あの気持ちに似ている。

引かされた玉を未練残さずに投げる。投げるのはいとも簡単である。

『あかん、全部仕舞っといて』と言えばよい。

しかし、投げたあとの損出をどうするかが重大問題である。まして連戦連敗のあとなどは。

西田三郎商店の西田三郎氏が、真夜中に、子供や家内の寝顔を眺めながら、あすの相場の事や引かされ玉を若い時分はよく考えたものです―と、お酒を飲んでいる時におっしゃっていた。この人にして、そういう事もあった。

もう死んでしまった津田岩松氏から中井幸太郎さんが相場で打たれて、どうにもならぬ苦しみの時の話を聞いた事がある。西田さんも中井さんも、あんなにお酒が好きになったのは、きっと相場をしている時に気が持てなくて、一升瓶を友にしたからであろう―などと勝手に思う。

そういえば大相場師の西山九二三氏などもアルコール中毒みたいになったのは相場の苦しみのためだったのではないか。

お酒を飲めぬ人は、こんな時にどうするか。岡本安治郎氏はお酒が駄目な人だった。それで聞いてみた事がある。南京豆をかじる。仏間に入って襖という襖や壁にケイ線を張り、パチパチとソロバンを弾く。三割高だ、とか半値地点は―などと。丑満時に南京豆をかじりケイ線と対峙する姿を思うと鬼気迫るものがある。

●編集部注
この頃、テレビでは「アルプスの少女ハイジ」が放送されている。大きなブランコに乗るオープニングが有名だが、差し詰めこの時の小豆相場はそのブランコの極みの部分であったといえる。

【昭和四九年二月五日小豆七月限大阪一万四九〇〇円・四四〇円高/東京一万四六〇〇円・二一〇円高】