昭和の風林史(昭和四八年十二月六日掲載分)

誇り高き人々 妙味なきを憂う

今年の小豆相場をふり返ってみると誇り高き人たちは概して誇り高き損失を計上している。

「水草のこむらさきなる冬田かな 三東」

近ごろ相場の強弱を書いていることに対して、なんとも虚(むな)しい気持ちに襲われることがある。

この事は筆者だけではなく山佐商事の佐伯社長も同じような気持ちになる時があると聞いた。

佐伯氏は相場師である。穀物相場は、わけのわからない動きになって、相場妙味が遠のいた。しかし、これも一時的な現象で、相場は相場だ。無理をしたものは必ずトガメが出る。

佐伯氏は今年の春から夏の暴騰相場を、徹底的に売り上がって、結局大勝利している。そして一万四千円、一万五千円、六千円の小豆を二万円まで行っても売りあがればよい―と弱気した。

ただこの場合、怖いのは張り付け天井の解け合いということだけだ―と。

佐伯氏は山佐本社の黒板の前のカウンターに一人ぽつんとお客さんのような顔をして相場を見ている。

明治物産のパーティーの席で明治物産創業者、前東穀理事長の鈴木四郎氏は、佐伯さんと同じようなことをおっしゃる。

近ごろの相場は、さっぱりわからないな―と。

ちっとも面白くないということである。

相場は、儲かったから面白いし、損したから面白くないというものではない。佐伯氏や鈴木氏のような老練の相場巧者は相場の利害得失など、それほど問題でなく、相場を楽しむ境である。

仙風道骨(仙人や道師のようにすぐれた風采)で澄心静慮。物我両忘(物と我と二つながら忘れて静かな心境)いうなら相場境に遊ぶ。

鈴木四郎氏も明治物産一階店頭のカウンターの前で腕を組んで微笑をたくわえながら相場を眺めている。

そこには見る物をして勲四等旭日小綬章の金日章径一寸五分の日赤七宝、白七宝光線がはなつ毅然とした威厳がある。

どうなんです?

ちっとも判らんょ。

今年をふり返ってみれば、要は仕手情報、操作情報を得られるかどうかにかかっていたように思えるし、そのような情報を仮りに得たとしても盲目的にそれを信じてついて行くか、行かぬかにかかわったようだ。

誇り高き相場師は、それを邪道とした。だが誇り高き人々は健在である。

●編集部注
鈴木四郎氏が創業した明治物産の〝明治〟は、人形町にある劇場、明治座に由来を持つ。相場師として活躍する傍ら、戦争で焼けた明治座再建の活動にも尽力したのだ。

【昭和四八年十二月五日小豆五月限大阪一万五七六〇円・七〇〇円高/東京一万五七五〇円・七〇〇円高】