昭和の風林史(昭和四八年十一月二十八日掲載分)

あなたまかせ 投げたり踏んだり

急落地点は買い―という安心感が支配している高水準で押したり突いたり、あなた任せの動き。

「萩枯れて山門高し南禅寺 虚子」

25日、和歌山県を震源地に近畿地方は午後一時二十五分と夕方六時十九分ごろ二回にわたって震度三ないし四の地震に見舞われた。

問題はそれからである。二回目の地震のあったあとかなりの地域で懐中電灯、乾電池、ローソク、インスタントラーメンなどが買い漁りの対象となり、品物が無くなったということである。

二度あることは三度あるという。物不足におびえている人心は二度の地震で極度に緊張した。いかに人々が不安定な気持ちでいるかが、この事でも判る。

パニック状態は懐中電灯やインスタントラーメンに限らない。

それにしても田中総理は、まだツキが逃げていないと思ったのは東京行きジャンボ乗っ取り事件が降って湧いた事だ。

愛知氏の急死→電光石火の内閣改造→福田氏を大蔵大臣に→ハイジャック事件。

新聞やテレビは改造人事に、ああだ、こうだと強弱を垂れているひまがなかった。

国民の目が物価→石油→愛知蔵相急死→内閣改造→福田氏→KLMジャンボ→トリポリ空港→マルタ島とほかのほうにアッという間に向けられてしまった。

筆者は、田中角栄氏にはまだツキがあると思った。

小豆相場はどうか。

相場の世界では『四斗樽いっぱいの才能より、盃いっぱいの好運のほうが勝る』といわれる。

運に見放されると粥をすすっても歯が欠けるものである。

相場は、不運の時、いつも意地が悪い。

まるでポケットの中を覗かれているみたいで、呻吟して辛抱していた売り玉が辛抱(資力、気力)の限界に達し踏んだところがあと一文の高値もない戻り天井で、すぐにガラガラと崩れてきたりするものだ。

不運と申すべきか。いや、相場とは、そういうものなのだ。

砂糖から小豆に大衆玉の乗換えが一段落してから急落した。

砂糖からの移民船が小豆の高値におびただしい乗客を降ろした地点が鳥もかよわぬ無人島では殺生である。しかし相場は無常という。

まさに相場は無常にして無情である。無表情に売買をこなす事は困難。それ故に昨今コンピュータ売買がもてはやされる。

 相場操作の疑いで相場師が捕まった。では高速売買やネットの書き込みはどうなのかとロートルはつい思ってしまう。

【昭和四八年十一月二七日小豆四月限大阪一万五五八〇円・二二〇円高/東京一万五四六〇円・二二〇円高】