昭和の風林史(昭和四八年十一月二十二日掲載分)

過剰投機の弊害 再び攻撃されん

取引所が悪いのでないと世間に声を大にして叫べど為政者は取引所を悪魔に仕立てあげるだろう。

「刈らざりし枯菊と知る夜半の風 心映」

生産地からの消費地向け新穀小豆の年内大量輸送は不可能であるという見方から小豆当限は前日比千百二十円高という強烈な陽線を20日の日に立てた。

この日、生糸、乾繭、小豆、手亡、ゴム、毛糸、精糖の各商品は制限値幅一杯のS高に買われた。

国会開催接近に伴って商品市場の投機家は焦り気味である。

世相も不況下節約時代の暗い年末を控え、人心はいつもの年と違っておだやかでない。

走れトロイカもう日が暮れる。空に高鳴れ朱総の鞭よ。遠い町にはちらほら灯り。鐘がなります中空で。

走れトロイカ相場は燃える。空に高鳴れ朱総の鞭よ。高い高いとペチカを焚いて、さぞや売り方つらかろう。

筆者は東洋経済新報社から『商品市場入門』という本を出した。その序文で商品市場について次のように書いた。

〝この市場が、与えられた機能を発揮するためにどうしても不可欠なものが〔投機家〕という輝かしき名を持つ自らの責任においてリスクを負担する野望に燃えた人々である。

商品先物市場で活躍する投機家は、市場の持つ高邁な役割や目的を、なんら意識する必要はない。

ただそこに存在することによって市場は機能を発揮するからだ〟―と。

しかし、投機家過剰は、この春の毛糸市場、生糸市場、大豆市場で市場の機能を麻痺させてしまった。そして現在、砂糖市場において憂慮される事態を招いている。

市場機能を破壊するが如き行き過ぎた(先物市場での)投機行為は、投機家が存在すること事態、社会悪と見なされるだろう。そこでは良識と言う行為の限界を各自意識しなければならない。すでにわれわれは統制経済移行という、日本経済の変革期に直面することに不安を強く感じている。

商品先物市場は統制経済下では存在する余地を失う。

筆者は『商品市場入門』で取引所は鏡の如く、そして体温計の如きものだと強調したが、同時に為政者は常に悪魔を作る事を考えるから、取引所は物価高の悪魔にされぬように気をつけねばならない―ことも書いた。

●編集部註
 平成の現在、大物相場師が逮捕され、官僚出身の相場師が価格操作の容疑で家宅捜査を受けた。

 ある評論家は無邪気に「カラ売りを禁止すればいい」とコメントしていた。

 四十余年過ぎても、何も変わっていないようだ。

【昭和四八年十一月二一日小豆四月限大阪一万五八九〇円・一六〇円安/東京一万五八四〇円・一七〇円安】