昭和の風林史(昭和四八年十一月十二日掲載分)

ベタベタ迎合 吐き気がするね

買い方主力に対してなぜ誰もがベタベタと迎合するのであろうか。もの欲し顔である。

「薄めても花の匂ひの葛湯かな 水巴」

小豆の一万六千円どころは、気ばかり強くして、今ひとつ迫力に欠けるものがある。

強気筋は、一万七千円必至と、かけ声だけは勇ましいけれど、高ければ利食いしたい。

買い方は利食い売りしては買うから、ゆとりがある―という見方は素人の言う事で、買値平均は高くなっていくし、その高値で玉がひろがっているから、ものの千円も下げられると、大変苦しいことになる。

この相場は出回り遅れという支柱と大衆買い、即ち買い仕手にちょうちんをつけた一種のムードによって水準が維持されているわけで、時間の経過に伴って遅れていた出回りは解消される事だろうし、浮かれていたムードは冷えてくる。

見ていると主力筋桑名は、この夏の下げ相場に対する失地回復、吐き出した分を取り戻そうとするあせり。それと天下の英雄の奢(おごり)が随所に見られる。これは相場師として、非常に危険な兆候といえよう。もとより御本人は決して奢っているつもりもなければ、間違ったことをしているとも思っていないだろうし、信念を貫く〝男の道〟を歩んでいるつもりであろうが、世間はそのように受け取らない。

その影響力があまりにあり過ぎるため、一挙手一等速は常に注目され拍手を送るものもあれば敵意を抱く者もある。

これは名をなした相場師の辿るべき宿命である。決して彼・板崎が悪いのでもなんでもないが運命にもてあそばれている感じがする。

相場師としての危険な兆候については、最近多くの人々が口にするようになった。彼に迎合する者ももとより多いが、それは、儲けさせてもらおう、操作情報の切れ端でもいただこう、あるいは彼の資力を利用しようという相場の社会にいつも見るそれにすぎないが、相場を私物化したり相場操作を繰り返すようなことが続けば、その立場はおかしなものになるだろう。

筆者は、いまのような相場に情熱を持たない。

まさしく〝つくられた〟相場であるし、迎合した相場である。相場新聞も多くはベタベタの迎合である。相場は騰がらない。

●編集部注
 最近、ここで揶揄される〝つくられた〟相場を〝つくった〟とされる人物が逮捕されてしまった。

 四十年以上も前の文章が先般の仕手の親玉逮捕のコメントに使えるという不思議。相場修行は人間修行とつくづく思う。

【昭和四八年十一月十日小豆四月限大阪一万五八八〇円・一二〇円安/東京一万五七三〇円・一七〇円安】