昭和の風林史(昭和四八年十月二五日掲載分)

アズキの魔術 催眠術にかかる

小豆相場を見ていると強力な磁気による暗示にも誰も彼もがかかっているように思うのだ。

「午の雨椿の実などぬれにけり 青々」

司馬遼太郎氏の〝人間の集団について〟(ベトナムから考える)を読んでいると、ウズラの魔法というものがある。

ベトナム人がうわさが好きである。それを利用して華僑が魔法のように金儲けをする。

ウズラのつがいを高い値で買い占めている人がいる―といううわさを流す。やがて当人が市場の一角に姿をあらわし、つがいのウズラを高値で買う。

ベトナム人は、それにつられて無けなしの財布をはたいて市場の鳥屋からウズラを買ってきては、その人物に売る。その人物は鳥屋とグルになっている。

二百つがいぐらいまでは次第に高値で買っていく。ついにウズラは払底し、とんでもない高値になったころ、その男は姿をくらましシンガポールあたりに高飛びしてしまう。ウズラの値段の高値を掴んでしまったベトナム人こそ哀れである。

日本においてもサイゴンのウズラの魔法は河原の石や油絵、あるいは土地、コインなどに見られる。

そして、スケールを大きくして展開されているのがアズキである。

サイゴンのウズラの魔法を読んでいて、ベトナム人を笑うわけにはいかないと思った。

取引所という公共の場でアズキの魔法が引田天功のように、まさしく鮮やかに行なわれているのである。

引田天功は小道具でするのが手品、中道具でやるのが奇術。魔術は大道具を使って行なう。マジックは催眠術につながると言う。

アズキ相場を見ていると完全な集団催眠術にかかっている。

相場記者も、生産者も、取引員も、セールスも、そしてアズキの投機家も。

もちろん買い方強気の本尊は強烈な自己暗示による自己催眠術にかかっているわけである。

時として、こういう事は一国が国を挙げて催眠術にかかる事がある。かつてのヒットラーのドイツがそれである。毛氏の中国もあるいはニクソンのアメリカもそうかもしれない。

アズキの魔法は、どこかでほどけるだろう。集団催眠術にかからない人間が少数ながら必ず存在するからである。考えてみれば催眠術にかかったほうが楽なのだ。

●編集部注 
 ここで出てくる引田天功は初代。男性である。

 鋭い指摘である。確かにこの時市井は集団催眠にかかっていた。その幻術が大阪でトイレットペ ーパー騒動を引き起こす。

【昭和四八年十月二四日小豆三月限大阪一万四四六〇円・三五〇円高/東京一万四四九〇円・四九〇円高】