昭和の風林史(昭和四九年十二月十八日掲載分)

今にして試練 一年の疾患出づ

年末ギリギリに来て百年の疾患を露呈する小豆相場。なんの希望もない場面である。

「吾が呟のひびき返りて蓮枯るる 梢」

28・23・20のラインが崩壊した。九月の28日安値。十月の23日安値。十一月の20日の安値。

およそ、この安値を結ぶ線が、小豆相場の下値の限界と見られた。

一月限で五千二百円。

二月限で五千三百円。

三月限で五千五百円。

期近限月の重味を感じた。

ホクレン手持ちの旧穀小豆の売りつなぎ新穀小豆のヘッジ。

仮需要(人気買い)が極度に細り、取り組みもやせ細っているから実弾売りは、まともに響く。

思えば他商品相場は先に供給過剰、需要減退、価格暴落の場面を踏んできた大きな試練を受けてきた。

その間、小豆だけは高値から二割五分程度の下げで他商品のような凄惨(せいさん)な暴落をまぬかれた。

しかし、やはり需要不振、供給過剰の実勢悪には勝てなかった。

年の瀬ギリギリになって百年の疾患一度に露呈という型になった。

あの店が投げ、この店が投げ、戦勢ひとたび悪化すれば敗走、また敗走、遂にはダンゲルクにまで追いやられる。

さて、ここで相場をどう考えるか。

古品小豆を定期につなぎ終われば、かなり安い相場になるだろう。

その数およそ三十万俵から三十五万俵。来年一、二月。バシッと梁(はり)が割れるかもしれない。

これは相場の成り行きである。

一月減お一万三千円めい台という値段も九月から丸三カ月をモミ合った水準を叩き割られた以上、あると見なければならない。二月限の、やはり一万三千三百円どころだ。

こうなると、投げ物と追撃売りとで、陰の極を取りに行く暗風寒窓に入る場面だ。

新穀一本である五月限にしても、市場がこうなると一万四千五百円→四千円の値段であろう。

そういうことにでもならなければ、小豆相場に人気が集まるまい。

年内は、チンタラ相場のあと棒下げの垂れ込みがあって、年明けて、なんの期待もなく暗然。一月、二月は閑でして、商いいよいよ薄く底練り百日、などと嫌なことを考えるのである。

 ●編集部注
 相場に三つの坂あり。上り坂、下り坂、そして〝魔坂〟である。

 これに毎度やられる。

 古今東西〝魔坂〟はどこにもある。今年も何度か〝魔坂〟があった。

【昭和四九年十二月十七日小豆五月限大阪一万六三〇〇円・一〇〇円高/東京一万六三〇〇円・一一〇円高】