昭和の風林史(昭和四九年十一月十二日掲載分)

徐々大直りへ 大底は確認した

徐々に大相場の様相を濃くしている小豆だ。昭和50年代二万円台の相場展開は必至である。

「行きずりのよそのよき子の七五三 風生」

相場が底を打つ時は、底を打つような、もろもろの条件が自然に揃うものだと感心する。

春が来て草木が新芽をふくように、初冬にかけて木の葉が散る如く。

手亡相場も山梨系がつなぎ終わり、海外市況も軟化し、現物事情を見ていても手亡は買えない―というあたりが自然の大底になってしまった。

手亡のケイ線先限引き継ぎ一万四千円は、大底も大底という姿である。

小豆も大底値脱出の動きだ。

ホクレンのタナ上げ30万俵も徐々に響いてくる。

目下のところ東京市中在庫48年産は、売り方が持っている分も、買い屋の持ち分も、早渡し希望分も、すべて含めて千百枚。

これを多いと見るから弱気になり、これを少ないと見るから強気になり、人の思惑は、同じ数字を眺めても、それぞれ違うから算術通りに相場は動かない。

現物筋のこれまでは当用買いの日々で、在庫豊富で平年作の出回り期で、しかも金詰まりの御時世に高価などあるものかと油断していた相場が、おやおやの動きになっては、十一月中に多少の品物は持っておきたくなる。

売れない、売れないの十月も、フタをあけてみれば思ったよりも売れていた。

今月は、年末師走を控えて、安いところは買っておこうという月。

それが、おやおやで値段が締まると、買い急ぎたくなるのが人情。

この時、市場内部要因は、高値の因果玉は冬の木の葉のように枯れて散ってしまった。桑名筋もつなぐだけつないで、逆にカラ売りしている有様。

思えば九月28日の土曜日の安値が大底だった。この日、筆者は、ミツワ商品内田社長、大同物産山田社長と三人で、仲秋名月に二日早いが嵐山は〝嵯峨吉兆〟でお酒を飲んだ。それだけに九月28日の小豆大底は印象深いものがある。

そして十月23日二番底で昭和49年小豆相場は、完全なる大底を構成した。

いま相場は昭和50年の大相場に向かって徐々に出直ろうとしている。

一般経済界の不況と、極度の金詰まりなどから熱狂的な投機人気は喚起されないだろうが、徐々に大相場の様相を帯びてくるのである。

●編集部注
 動きやすい所で動きやすいポジションを取るとやられる。むしろ逆の方が儲かりやすい。

【昭和四九年十一月十一日小豆四月限大阪一万七五一〇円・一一〇円安/東京一万七五七〇円・一二〇円安】