昭和の風林史(昭和四九年八月十五日掲載分)

売っても駄目 水準は地相場だ

今の小豆の値段は妥当な水準である。人気で浮いているのではない。だから弱気しても下げない。

「やぶ入れもせぬまで老いぬ秋の風 子規」

今年の小豆相場が、過去の相場と違うところは熱狂しない点である。熱狂―即ち夢の中になること。

なぜ夢中になること。

市場がそれだけ、おとなになったとも言えるし、相場が結局のところ大きな逆張り圏内であるため夢中になれないのかもしれない。

相場をする人たちを見ていると、シビレルためにする人。損するためにする人。マゾ的快楽、即ち苦痛に耐えるために相場をする人がそのほとんどで中にはケイ線を引くため相場をしていると思われる人もあるし、手数料の戻り我目的の人もある。

そしてそのほとんどの人は儲けようという当初の目的から逸脱して、過去の損失を取り戻そうという消極的前向きの姿勢か、まるっきり、後ろ向きの姿勢である点が面白い。

今年の相場が熱狂しない、醒めている、冷静なのは、儲けにくい相場だからとも言える。

また、昨年夢中になりすぎたその苦苦しさが残っているためでもある。

お陰で市場は平穏だ。

力をこめて弱気しても、相場はニヒルな表情だ。

ここで考えるのであるが、古い型の相場師、過去の市場でのボス、相場実力者、過去の相場巧者―そういう人々がだんだんズレている点だ。

ホクレンでも若い人たちの下からの突き上げがキツイといわれる。古い実力者たちは現代の早いテンポの環境変動に感覚的にもついていけない。

相場の世界もそれは言えよう。

昨年の相場でその事は思い知らされた。

世の中は常に変革している。いま、小豆相場を過去の定石(定跡)で判断すれば地合い、日柄、需給、人気、取り組み、作柄等、たしかに戻り売り型、あるいは筆者は売っても取れないと思う。

相場の底辺が上がっていることに気がつかぬはずはない。即ち一万八千円は地相場になっている。人気で浮いた値段ではない。まして熱狂的に湧いてつけている値段ではない。冷静に判断した妥当な相場なのだ。それだけに弱気しても取れないと思う。

●編集部注
 天災は忘れた頃にやって来る。直近の相場は典型的な陰陽鯨幕。参加者の倦怠が行間に浮かぶ。

 そんな時が一番怖い。

 この世界、老若男女を問わず、頭を柔軟にして動く者だけが生き残る。

【昭和四九年八月十四日小豆一月限大阪一万八四六〇円・一六〇円安/東京一万八四〇〇円・二〇〇円安】