昭和の風林史(昭和五九年二月十七日掲載分)

人間の疲労と相場の疲労

さしもの輸大は一応の底値にとどいた感じである。小豆は人気定まらずで気迷い道中。

疲労ということについて考えてみた。

疲労は相場の疲労もあれば、相場市場の疲労もある。

また、人間の疲労もある。

人間のほうは(1)食欲がまったく減退する。(2)体重が急激に減少する。(3)脱力倦怠感が強い。(4)無気力になる。(5)物が二重に見える。
もうこのあたりになると重症だが(6)顔に生気がない。(7)皮ふに張りがない。(8)めまい、吐き気がする。(9)瞼がピクピクする。(10)歩行中に睡眠発作。(11)足がもつれる。(12)なれた作業にミスが多くなる。(13)ねむいのにふとんに入っても眠れない。(14)なにをしても自信がなく常にイライラし、不安である。(15)人に会ったり話をするのがいやになるが、一人だと淋しくてたまらない。

いわゆる慢性疲労の極である。こうなったら入院するしかない。

相場に打たれたり、金繰りに追われたり、事業に生き詰まり、人間関係もうまくいかなくなると悪性疲労が蓄積し、とどのつまり自殺というコースをたどる。

以上のような現象を相場に当てはめると(1)出来高が細る。(2)取り組みが減少する。(3)相場無関心の人がふえる。(4)値動きのリズムが失われる。(5)材料に対する反応が鈍い。(6)トレンド性がない。

要するに価格指標の能力もヘッジ機能も、そして投機魅力も大幅に低下するわけである。

上場商品を見ていて、相場市場が悪性疲労にかかっていると判るものの代表が毛糸であり生糸である。

それを通り越して死に至る病(やまい)が大手亡豆であろう。その昔にスルメがあり、人絹があった。

人間でもそうだが、相場の疲労は寿命(時代適応)もさることながら休養を必要とする。相場の休養は玉整理であり、日柄である。

●編集部註
 当節コロナウィルスの蔓延の折、今回の文章内容のなんとシンクロしている事か。ひと咳しようものならどこかで誰かが殺し屋のような目つきでこちらを睨んでくるご時世である。令和の都心に通う人々は、大抵その大半が疲労している。
 不勉強ながら、スルメの先物取引が存在していた事をこの記述で知った。ネットで調べると、函館市史のデジタル版というものがあり、そこに函館海産物取引所が昭和26年7月に開設されたとある。スルメ自体の現物市場の衰退に伴い昭和47年に解散するまでの20余年、かなり手荒なマネーゲームが繰り広げられたようだ。
 この記事から時は過ぎ、コーヒー等も上場していた事を思い出す。