昭和の風林史(昭和五八年十二月二十六日掲載分)

売り玉呻吟して逃げ込む

もう時間がない。追証叩き込んで大納会に逃げ込めば春は春の絵が書けよう。

泣くも笑うもというところにきた。今更という気もあれば、ここをなんとか凌いでという気もある。

人生は気が萎(な)えたら負けである。

小豆の売り方は決して明日(あす)に望みがないわけではない。

勝敗は兵家も事期せずという。羞(はじ)を包み恥を忍ぶはこれ男児。少々のことでへこたれるな―と。江東(江南の地)の子弟才俊多し、土を巻いて重ね来たる。未だ知るべからず(杜牧)。

捲土重来とはここから出た言葉である。

負け戦さにおける兵法第一は兵力の逐次投入の愚に陥らぬこと。第二は陣を捨て、兵を捨て逃げて、逃げて逃げのびること。

さもなければ重装備で貝の如く城にとじこもり世の中の変化を待つ。

ともに追証、臨増しに耐えるだけの資力と、絶望的戦況にも微動せぬ気力を必要とする。

相場戦線の逆境は日常茶飯事。兵力の逐次投入即ち難平(なんぴん)であり、作戦の分裂即ち両建の両損である。

早逃げの早勝ち、即ち見切り千両。しまったは仕舞え。これができるのは兵力を残しているあいだだけである。

小豆戦線は買い方勝ちに乗じて一月限を締め上げ二限、三限と勢力拡大し「逆ザヤ売るべからず」の大きな幟(のぼり)が立っている。

ようやく売り方も、この苦しい戦いは一月半ば頃から二月上旬あたりまで持久態勢を採らざるを得ないと腹を据えだした。

首の皮一枚残して大納会に逃げ込めば長い人生、正月しない年だってあろう。

●編集部註
 〝早逃げの早勝ち、即ち見切り千両。しまったは仕舞え。これができるのは兵力を残しているあいだだけである〟。確かにそうである。しかし、それだけではない。
 ヒントは、浅田次郎の競馬に関するエッセイの中にあった。
 勝負事に身を置く人物の最悪のコンディションは「くすぶり」だと浅田は言う。やることなす事全て逆目に出る。それなら当たるだろうとしても、くすぶっている時は逆目に張ると順目が出る。
 くすぶりは自分自身が生み出してしまうケースと、他人のくすぶりが伝染し、罹患するというケースの2種類がある。前者なら身から出た錆と突き放すなり、自重する事も出来ようが、後者の場合はたまったものではない。
 故に浅田は、くすぶっている者には近づいてはいかないと警鐘を鳴らす。このあたり、「無欲万両」「休むも相場」に通じるものがある。
 だが、絶賛くすぶり中の人間は、「休むも相場」など忘れて、腹立ち商いに身を滅ぼしてしまう。