昭和の風林史(昭和五八年十二月七日掲載分)

非情の師走相場無常の風

ジリ貧のあとはドカ貧がくる。見切り千両と知っていて買い玉投げきれないから深い。

小豆の在庫がふえる事が判っていても相場強弱に枝葉をつけて一月限は渡し物なし等とポジションに都合のよい見方をしていたがまえもって判っておれば現物の手当てをつける。

値頃感で三万円以下を売れる人は少なかった。

値頃観無用とはこの事である。

売り玉は利食いまた利食いで辛抱していた一、二月限も利食い圏内。

利食いした人は普段の月なら別だが、やはり人情というもの、よいお正月をしたいから持って帰る。

買い玉は宵闇迫れば追証がかかる。あとは投げるだけだ。

売り玉は利食いで逃げたから買い方は自分で自分の首を締める格好。

隣の輸入大豆との絡みで小豆投げよか輸大も投げる。

相場は材料(ファンダメンタル)一割、あとの九割は勢い即ち流れだ。

ナンダカンダの年の暮、ともかくもあなたまかせの年の暮とも言う。

小豆は二万五千円当たり、横一文字のサヤ修正で去年の暮から一月上旬のようなコースに入っている。

利食いした人は戻り待つべし大底が入る迄は夜道に日が暮れぬ。

下げた後のこの期に及んでという水準からのストップ安がいずれくるだろう。七色のパッチさんがハナを取っている間は流れは変わらぬと市場では見得(ケントク)としていた。

●編集部註
 投げてサッパリ、視界も晴れやか。因果な玉はバッサリ切るに限る―。という心境に至るにはやはり時間がかかる。
 損切りはお金が無くなるだけであとは良い事しかない。無くなったお金はまた作ればよい―。という考えはあってもなかなか動けないのもまた、人情であると知る。
 ムツゴロウこと畑正憲の書いた本に「象使いの弟子」というものがある。スリランカで象の調教師修行した経験をまとめたエッセイで、後にこれはテレビでも放送された記憶がある。幼少のみぎり筆者はそれを観ていた。 順調にメニューをこなし、象もそこそこなついていたある日、ムツゴロウさんは何かのきっかけで象の逆鱗に触れる。
 小さくても2㌧、大きくても5㌧近い象が、殺意をもって人間を攻撃してきたらひとたまりもない。ムツゴロウさんは吹き飛ばされる。
 ただ幸運なことに、彼は大けがするも事なく生きていた。後に、この時の心境を語ったインタビ ューを読んだ事がある。
 その日は晴れていた。生き伸びた事に気付いた時、見上げた空はひたすらに青かったのだとか。
 これが、大損切り後の心境に良く似ている。