昭和の風林史(昭和五八年十二月三日掲載分)

クリスマスプレゼントか

小豆は山雨来たらんという雲行きだ。薄商いだが緊迫したものがある。S安の可能性。

需給相場時の小豆の薄商いは宿命的なものとなった。

その薄商いの各節を神戸のK氏が相場に色どりをそえるのか、それとも更に人気を離散させるのか、ともかく売ったり買ったりでピンでもよいからハナを落とさなければ生き甲斐がないというふうなあれは一種の病気みたいなものでよく泳ぐ者よくおぼれるにならなければよいがと辟易(へきえき)されていた。

一月限の大逆ザヤと片寄っている取り組みが相場をして難解にしている。

近年投機家は難解な市場を敬遠する。大穀小豆自己玉の一、二月限の圧倒的買い建も小豆の自己玉は年間通じて曲がりっぱなしというものの、スクイズ、玉締め可能性が少しでもあれば、大衆は離散してしまう。

東穀の取り組みが二万枚に乗せきれず、大穀また三万枚を割って久しい。

この事は証拠金の高額を嫌気するということもあるが、思惑する側にとってはなにかスッキリしないものを感じて、敢えて小豆をさわらない。

まあそれも市場の運命下における趨勢といえばそれまでだが、小手先の市場振興策を騒ぐより、もっと根本的な市場のありかたについて取引所は考えるべきでなかろうか。

相場のほうは“なだれ現象前夜”の風情だった。

特に当限などは来週あたりから下放れで棒に落ちるような気がしてしようがない。薄商いの目先の小高下にまどわされてチャブつかぬよう、先三本なら先三本を売りっぱなし、一、二月限博打なら博打で腹据えて売っておく。

線という線オールかんかん皆すべて脂がのりきって、したたるような獲物が目の前をうろうろしているふうで、弾(タマ)がない人は仕方がないが、これクリスマス・プレゼント。

●編集部註
 大工殺すにゃ刃物は入らぬ。雨の三日も降ればよい―のような展開になって来た。日照り商いが三日も続けば千客万来がいのちの゛いちば〟は悲鳴を上げてしまう。差し詰め「神戸のK氏」は恵みの雨か。この時は共通言語であったかも知れないが、今となっては何処のどちら様かは判らない。ただ雨として期待されるのだから六麓荘辺りにお住いの方だろうか。所謂、芦屋のホンマモンのお金持ちである。
 この辺りも阪神大震災の影響を受けた。近くの阪急西宮北口駅周辺の一部はごっそり消失。現在そこは、定規で引いたように整然とした区画だ。
 この時、他の被災者のご迷惑にならぬよう、自身は身銭を切って神戸の高級ホテルに長期滞在したり、全国を旅していたホンマモンと直接お話しした事がある。
 やはり、ホンマモンはお金の使い方もホンマモンなんだなと感じた。