昭和の風林史(昭和五八年十一月二十二日掲載分)

小豆は前から転びそうだ

小豆全限大崩れの前夜のような様子を感じる。一、二限の戻り売りが面白そうだ。

小豆は当限が納会すると歯止めがなくなる。当限が高納会か、安納会かは判らない。

取引員自己玉は極端な買いになっていて、その限りでは下値がないという見方をしているわけだが、大逆ザヤを突っ張ってカラ売り玉の煎れを取ろうという狙いが果たして成功するかどうか見ものである。

確かに大衆筋のカラ売りも多い。と同時に煎れ期待のカラ買いも多い。

当限の売買内訳を見ていると新規売りよりも、新規買いが大量である。

相場は人気の裏を行くから、当限が裏目に出たら、あとに続く限月は、みな転んでしまうだろう。

考えてみると人気とは面白いもので11限がこの夏四千七、八百円高値の時に高すぎる、高すぎると騒いだ人達が今五千七、八百円を安すぎる、まだ上値あり―と強気する。

相場とはこんなもので、その時々で価値観も違えばポジションによって主張も変化する。

全般的に見るとこの小豆は全限売りの相場になっていると思う。

今のところ一月限に渡す品物がない―というストーリーで、この限月が買い方の柱になっているが、ひとたび相場が気崩れに入ると限月問わず、値頃問わず、大きな石も小さな石も巻き込んで土石流となる。

目下の姿は一時的な供給のショート現象を過大に評価して、それを絶対視する傾向であるが、これは長くは続かず、なにかのキッカケで“なんとかショック”というふうな暴落を呼び込むことになる。

大衆筋は先二本の今の水準は、いかにも安く思えるのか、値頃観で買ってくるが、三、四限の二万八千円台がトレンドからも日柄からもあり得る可能性が強い。盛りのよい一、二限も戻り売りが銭になる。

●編集部註
 東京市場の日足を見ると、1983年11月の小豆相場は差し詰め「鵯越の逆落とし」の如く急転直下の線形になっている。 筆者が相場の世界に入って最初に教わった文言は「価格はコンセンサスではない」というものであった。当たり前と言ってしまえばそれまでだが、往々にして、実際に相場と対峙すると視野狭窄に陥る事が少なくない。このような急落場面で極端な買いになっている自己玉はさぞかし厳しかろう。 委託玉と異なり、自己玉は縦横無尽好き勝手に取引する事が出来ない。今回の記述にもあった「大衆筋のカラ売り」がほぐれるのを待つくらいか。 ここで「大衆は全て間違っている」が出て来る。