昭和の風林史(昭和五八年十一月四日掲載分)

小豆トレンド大崩れ暗示

大局的に小豆を見ていくならば先のほうの限月は、かなりの下値に落ち込むだろう。

豊作に売りなし、凶作に買いなしという。

これは江戸時代の米相場から出た言葉である。

小豆相場が凶作に買いなしの場面を、どこで出すかを注目しておきたい。

小豆11月限は渡し物がないのだから、この限月を買っていくのは、お金のなる木を持つようなものだと強気筋は上値目標三万七千円、八千円、九千円と恐しい勢いだった。

しかし相場というものは、買うから高い場面は怖くない。買い玉即ち売り玉に変身するからだ。

これが仮りに仕手が入って現物あるだけ受けていくというのであれば、ちょっとうるさいが、その場合でも早々と売り方煎れてしまえば、受けようと煽ろうととどのつまりは崩れる。

まして先のほうの限月ならば、値は荷を呼ぶ。

年末需要の手当て一巡すれば、仮儒人気も熱気がとれて、一月、二月の不需要期に向けて需給がゆるむし人気は冷める。

大きな流れで見ていく限り先のほうの限月の売りは年末にかけて、これは非常に判りやすいのである。

小豆の商いがまた細りだした。

上値を期待しているわりにいま一つ信念がないようで、誰かが積極的に買ってくれたら自分は利食いしようという他人まかせの強気である。売り方にしてもあるいはもう一段高があるかもしれない警戒が先に立つ。

売らず、買わずの薄商いは自然見送るから痩せた取り組みは痩せたままだ。

そうした真空状態の所にちょっと嫌な材料が出現するとドカドカ気崩れに入るだろう。

理屈ではこの小豆当限が値を維持している間は下げないと判っていても、その当限だって大逆ザヤをいつまでも維持しておれない。相場に絶対はないから怖いのだ。

●編集部註
 ここで出て来た江戸時代の米相場は、取引時間を火縄で正確に設定し、決まった価格を大坂から江戸表に向け、各所に設定された物見櫓から狼煙で伝達していた時代だ。
 格言は令和の御代まで生き残っているが、今は取引のシステム自体がまるっきり違う。まして死に体の本邦の穀物市場では商い自体が薄いので、格言通りには行かない。
 今回の文章を読んで何故か思い出したのは、本年9月に劇場公開された映画「ハミングバード・プロジェクト」である。
 フラッシュ取引で他よりも0・001秒早く取引するため、直線距離で1 600㌔の光回線を敷こうとする実話に基づいた話しなのだが、ここまで取引が進化するとロートルにはキツい話である。