昭和の風林史(昭和五八年七月十四日掲載分)

相場の呼吸に乱れがない

大冷害の時に値頃観を持つことは非常に危険である。相場の呼吸は乱れがない。

田山KKの山本博康会長が堺の武野紹鴎屋敷跡のすぐ隣に、名酒「越乃寒梅」を飲ませるおでん屋があるからどうだい―とお誘いを受けた。この店はきっちり五時開店で二週間ほど前から予約して十五、六人しか並べないカウンターのところだが、高級車が並んで開店を待つなど、おでん屋にもピンからキリまであるものだと感心した。

小豆相場のほうは基調が変わらない。

期近は現物に接近しようとするし、逆ザヤを売られている先二本は、チクチクエネルギーをため、いつ爆走してもおかしくない。

伝えるところホクレンあたりの“洗い”がきつくて、なんとか相場を下げて売り玉を仕舞いたい様子。だからホクレン売りに提灯つけた人たちも、苦しいところだ。

過去の凶作相場とまったく違うのは、買い仕手不在で強力な売り仕手割拠ということである。

これは一にも二にも値頃観が邪魔して相場の真の姿が見えない。あるいは安値の売り玉可愛いくて心の曇りが晴れない。これは一種の病気である。

昭和最悪の大冷害というのに三万三千円台(新穀)が高すぎるという考え方が、どうにも判らない。三万円から、ちょっと騰がったばかりの地点だ。

罫線11月限は三千円中心によく揉み込んだ。この圏内の売り玉は四千円カイときて踏み上げに入る。

これからの相場の考え方として、期近の三万六千円→八千円。場合によって八千円近辺で揉んで四万円吹き抜け。

先のほうも三千円どころは十分揉み込んだから次は五千円→六千円圏に。そして六千円→八千円という乱調期に入り、この時は売り方総懺悔の踏みということになるのでないかと見ている。

●編集部註
 まだこの頃は、日本酒に等級がつけられていた。戦時中の米不足の亡霊が生き残っていたのだ。筆者の実家は酒造りが盛んな地域であったので、この頃はもう、制度自体が有名無実化していた事をよく覚えている。
 酒蔵の中には制度を逆手にとって等級審査を拒否。「二級酒だけど安くて旨い酒」というものが珍重されていたものである。
 「越乃寒梅」は今でも銘酒ではあるが、全国的に知られるようになったのはやはり水島新司の野球漫画「あぶさん」の影響が強いと思われる。
 1983年は連載開始10年目の節目の年。物干し竿の異名を持つバットに越乃寒梅を吹きかけて打席に立つ主人公、景浦安武の当時の所属チームは南海ホークス。むしろ、東京よりもこの酒を所望する人が多かった筈だ。