昭和の風林史(昭和五八年七月十二日掲載分)

小豆大凶作はほぼ決定的

小豆は売り方が相場をつくっている格好。売り込んだからS高連発銃が火を噴く。

帯広周辺を更に回って毛根から狩勝峠を越え富良野に出た。このあたりも悪い。

高台の昔練兵場だったところの瑛美は霜の早い場所。

一見して小豆の畑が判別できるのは、遠くからでも地肌が見えるからだ。近づくと朝顔の苗を並べて植えたような緑の長い長い線になり、車を降りて畑にしゃがみこむと五㌢から六㌢。

ポケットの百円ライターをその横にならべて、背丈は同じくらい。

瑛美を一周して旭川に出る。転作地帯の小豆も今まで見たのと同じ程度で、三葉めが出かかった背丈五㌢だが根にタマ(根粒菌)のついたのがほとんどない。

深川→滝川と抜け、岩見沢の手前の茶志内を左に折れ、石狩月形に出る。

このあたり行けど行けど千里一望麦畑。その所々に小豆をおこした(掘り返す)場所がいたいたしい。

江別で日が落ち野幌一泊、日曜の朝六時出発。栗山→由仁→追分と回る。

このあたり、幾分よさそうな畑が、たまにはある。

千歳空港でレンタカーを返す。走行キロ数なんと千百㌔を越えていた。

小豆産地のおよそ75%を踏破して北見方面反収20㎏。帯広地区40㎏。旭川方面40㎏。札幌方面60㎏という線が出た。

このあと天候が好天続きなら中間地帯と札幌周辺は持ち直すが、再び天気は崩れる予報。また秋冷が早い予報も出ている。

従って全道小豆収穫50万俵。このうち頭(二等検)三割としたら15万俵にしかならず、あとは三、四、五等検ならば古品の値打ちは恐らく四万五千円→五万円になろうというもの。

もとより今後の天気にもよろうが、作柄は凶作決定とみて対処すべきだ。

相場のほうは輸入小豆の材料にからんで強弱が対立するところであるが、売ってはいけないと思う。

七、八、九、十月と納会なにを渡すのかという問題。取り組みは増大。七日、八日のゆさぶりで弱気筋はまた売り込んだ。

これが次なる上昇エネルギーになる。

そしていずれ11限もスピードを上げ、追いかけてくる。

結局売り方がこの相場をつくるのである。

●編集部註
 怒りの葡萄ならぬ怒りの小豆といったところか。
 相場にコンセンサスはない事は充分承知している、つもりの事が多い。
 得てして手前勝手に、人は相場に上限をつけたがり、それがもとで失敗する。現在は非常事態だ、という事を風林火山は車を飛ばして確認しに行ったのだと言える。