昭和の風林史(昭和五八年四月三十日掲載分)

のんびり小豆下値を拾う

国際商品全般が買い疲れ模様だ。しかも五月は円高予想。小豆の安値でも拾うか。

小豆の自己玉は一月中旬以来売りを上回って買い越しが続いてきたが、買いがぐんぐん減って売り越しになった。

この事は小豆の自己玉は大曲りしたことを意味する。

いま人気は非常に弱くなった。七千円を割って六千五百円があっても仕方ない―と見るようになった。

大衆筋は五、六月限の安いところの売りを辛抱していていま愁眉をひらいているところである。

代表的雑豆輸入商社が東穀市場で片建買い筆頭になる買いということ自体が世の中狂っているわけで、おかしいものは、おかしいし、筋が通らぬものは筋が通らないから、相場世界は時間をかけてこれを普通の姿に戻す。

輸入大豆にしても無理が通れば道理が引っ込むが、無理はいつまでも続かず、道理がもとに戻る。

その意味からも関西に集めた中豆が相場の頭を抑える。昔から余り物に値なしという。シカゴも為替も買い方に味方するまい。

将棋でいえば指し過ぎもいいところである。その反動は覚悟しておかなければならない。

輸大の大阪市場は淋れ行く街だ。年がら年中、スクイズばかりの市場は狂気の沙汰で敬遠する。

これは取引所が呆くらだからどうにもならない。

ゴムの相場は崩れたところは売り玉利食いで、利食いしたあと待っていると、また戻してくる。

戻してきて商いのよくできるところをまた売り上がっていく。

野村総研が〝経営者情報〟で円相場は五月二二〇円台に買われるという見方を流していた。

年初来上げてきた国際商品全般に疲労が出ている。シカゴ大豆にしても深い押しが必要だし、ゴムも日本の手当てが一巡すれば反落コースに乗るのだ。

●編集部註
 自己が曲がるという事は、委託玉が当たっているという事を意味するが、業界が玉石混交だった時代、「まだ」と利食いをさせない店もあったとか。大抵「まだ」は「もう」である事が多いのは相場の常識である。
 株であれ商品であれ、2~3年ごとに相場で儲けた人間をピックアップし、「上手い事やりやがって」とやっかむのではなく「夢があるよなぁ」と、成功譚として喧伝して置けば、ジャパニーズ・ドリームというものが育成されていたかも知れない。
と書いては見たが、儲けた側に徳がなければやはり無理か。相場で儲けた人物が多数登場する。鍋島高明氏の本を読み返して、それを改めて感じる。