昭和の風林史(昭和五七年十月四日掲載分)

輸大期近はもとの木阿弥

小豆は戻してもまた安い。投げきるまで駄目だ。輸大期近二本が極端に悪くなった。

小豆買い、生糸売り、輸大買いという投機筋が小豆崩れによる証拠金の絡みで生糸売りから戦力を引き揚げ、輸大買い戦線を後退した姿が新甫の生糸高、輸大安である。

南方戦線拡大で関東軍を満州から引き抜いた格好だ。小豆の二万九千円割れのショックが、いかにも大きい。

反面、小豆買い・生糸買いポジションの投機筋もある。このような人たちは、損切りして損の少ない銘柄からはずし、帳尻に大赤を出さないようにする。

しかし結局は戦い利あらざれば見切り千両。引かされ腰強いほど損出が大きくなるものだ。

小豆は二万八千円を割っても、割らなくても、いまとなっては投げるものは一応投げ、利食うものは利を入れたから、どうということもなかろう。

悪い悪いと国から便り。売り材料は、あとから貨車できた。

線型としては七月19日安値に対して両足つきだが、もう一段安に売られて二万八千円割れがあってもおかしくない。

取り組みの、引かれ引かれて、なん千里という買い玉が本当に投げきるまでは戻っても力なく、すぐに垂れ込むだろう。

夢も希望もないというのが今の小豆の買い玉だ。

輸入大豆は東京、大阪、名古屋とも先限は売り線。もとの木阿弥というか、九月八日の安値を切るかもしれない。

期近二本も11限の悪さは戻り二番天井打ちで、東京の足が極端に悪い。

当限も名古屋はストレートに四千七百円まで崩れるトレンドに乗っている。

●編集部註
 昔の事はよくわからないが、風林火山は晩年、いつも音楽を聴きながら原稿を書いていた。
 事務所に入ると、比較的小さなCDラジカセがあって、今日はブラームス、明日はバッハといった具合に終日同じCDが繰り返し流されていた。クラシックばかり流れていた気がする。
 世界初のCDプレーヤ ーが販売されてまだ3日しか経っていないこの時、事務所にCDはなかっただろう。まだソフトも30タイトル程度しかなく、オーディオマニアくらいしか興味を示していない。
 ただこの文章、行間からは音楽が聞こえる。
 シューベルトの悲愴か、はたまた魔王のようなドイツリートか。
 いや、クラシックじゃないかも知れない。鶴田浩二の傷だらけの人生か、はたまたさくらと一郎の昭和枯れすゝきか。
 ウォークマンが世に出たのが1979年。今考えると、昔のソニーは音楽を聴くツールに革命をもたらしたのだと思う。