昭和の風林史(昭和五七年九月二十七日掲載分)

無理無理の生糸買い仕手

生糸の買い仕手は無理の上の無理。この生糸は七月小豆の二の舞いで買いは潰れる。

産地の小豆が崩れた。

全般地合は超閑散の中で玉の出具合いによる値付きだが、玄人筋の強気多数にもかかわらず力がない。

この、相場に力がないというのが一番怖い。

材料を並びたてれば確かに玄人筋のいう強材料が道理かもしれないが、それはファンダメンタルズだ。相場はそれだけで上がるものでない。

要するに夢遊病者のような相場で、芯がないのだ。だから、フラフラと二万九千円を割る場面があると思う。

上げられず、下げられずという相場で推移していても、それで底が入るわけでない。宙に値が浮いているだけだ。

まあそんな具合いだから高いところは売りたい。

生糸の相場の売りが判りやすいと思う。

買い大手は今月受けた品は絶対定期に舞い戻らない。確実なところにはめると言っているそうだが、先月もそんなことを言っていた。

また、代行会社の融資によって供給過剰の生糸を敢えて逆ザヤで一手受けという買い占めは小豆の市場管理強化の局長通達が出ている時に、生糸は別だ―と、強引なことをやれば必らず買い仕手に対する批判は高まるだろう。

納会の受け方、横浜二店、神戸三店というのも異常であるし、場外での受けというのも納得できない。

買い方は悪魔にとりつかれたように破滅の道を行く姿に見えてしょうがない。

しかしここまできたら退くに退けない。まるで七月の小豆六本木・桑名の姿である。相場が決して楽でない。無理の上の無理であることを一番よく知っているのは買い主力店のオーナーである。誰よりも今の悪さを知っていて、それでもやらねばならない姿はお気の毒と言うしかない。

●編集部註
 今となっては、ここに記されている「主力店」が良くわからない。
 そこで頼りになるのが毎度お馴染鍋島高明氏の著作物である。「マムシの本忠」(パンローリング)を読むと、とある業界紙が当時の商品取引会社の社長を〝組閣〟。年初めに「商品先物内閣」として紙面で発表していたという記述が出て来る。この年は「第二次多々良内閣」と本には記されている。
 総理は豊商事の多々良良成。蔵相はカネツ商事の鈴木和義。労相は北辰物産の川口一秀、自治相は第一商品の村崎稔(敬称略)といった具合に、全部で23のポストに当時の商品会社の経営者を当てはめている。人選が絶妙で好評であったとか。
 悲しいのは、今も同じ社名の会社が23社中7社しかないという点である。