昭和の風林史(昭和五七年九月二十日掲載分)

小豆売り夜道に日暮れず

輸大の売り方は薄氷踏む思い。小豆の売りは夜道に日暮れず。売ったままのんびり。

生糸の市場は変なことになった。取引員連合軍対委託者の戦争みたいに見えるが、ものの考え方のセンターが、どこか狂っているに違いない。

硬軟両派のポジショントークも激しい。『金屋は悪(わる)だ。悪は抹殺すべし』。『栗田を応援してきた取引員は大なり小なり矢弾を受けている。なぜそこまで支援しなければならないのか』。『市場機能も取引員経営者としての本分も置き忘れたかのような格闘は商取業界の信用にかかわる』。『これは役所の無能と取引所の無策によって、もたらされた業界の悲劇である。益する事なし』―と。

小豆相場のほうは引けあと発表の予想収穫高に関心が寄っていたが、発表数字がどうあろうと、相場の流れは下を向いている。

調査時点が九月一日現在ということだから、その後の天候順調を計算に入れて考えなければならない。

商いは薄いが取り組みが漸増している。取引員自己玉は買いである。これはお客が売り傾向を示す。小豆の自己玉はこれまでも曲がり屋的色彩が濃い。小豆に関する限り、お客が当たってきた。

二万九千円をドカンと割れば三万五百円の買い玉と、二万九千五百円の買い玉が投げに入るだろう。

夜道に日は暮れずという気持で売っておけばよい。

大豆のほうはアメリカ北部低温周期で21日あたり降霜被害がかなり出るだろうとシカゴが買われた。国内期近限月は嵐の前の静けさ。売り方薄氷踏む思い。

●編集部註
 平成の御代ではこの程新内閣が誕生したが、昭和のこの頃も政権の端境期であった。
 1980年、大平正芳の急死後に首相に就任した鈴木善幸は、翌年内閣改造を図るも、負債が足を引っ張った。
 当時は世界的に不況に見舞われており、日本は5~6兆円の税収不足の恐れが出て来た。
 1982年9月16日、鈴木首相はテレビで「財政非常事態宣言」を行い、徹底した歳出削減と赤字国債の増発で「未曽有の困難」を乗り切る必要がある、とした。
 手っ取り早く言えば緊縮財政で乗り切ろうとしたのだが、これに失敗。この年の11月に退陣する。
 次の首相を巡り派閥間の調整が行われたが、上手くいかず、自民党総裁選が行われ、開票の結果、当時〝政界の風見鶏〟と呼ばれていた中曽根康弘が勝利。第71代内閣総理大臣に就任する。