昭和の風林史(昭和五七年八月十一日掲載分)

戻り新値抜けから売り場

売りたい強気で待ちの姿勢。戻り新値でワッとくれば売りたい。盆から先は安い。

妙な相場つきになったものだ。

上に行くなら行ったほうが判りやすくなる。

下げるなら下げたで、また判りやすくなる小豆だった。

商いは隣りの輸大がよく出来て、小豆は気がない。前場二節東穀小豆出来高三限月で22枚である。

閑散病という病気が出ている。これ即ち解け合い疲れである。

日足線の陽線連続を見ていると、上げたがっている姿だ。

11、12限の(大阪)八百円買い!!とくれば商いも弾むだろうが、その時は逃げたい買い玉も多いし、新規売るなら、戻り新値抜いてからと、待機組も多い。

戻り新値抜けからトントン、トーンと打ち上げていく勢いは今の小豆にはない。

これは人気が醒めているからだ。

取引員自己玉は大阪買い長。手数料抜け幅が楽な業者玉は利食いが速い。

日中教科書問題が、〝長崎国旗事件〟のようなことにならないか?

今の中国と、あの当時の中国と政治、外交の姿勢も変化しているし、鈴木内閣も妥協の外交姿勢だけに、途中のアヤは大騒ぎするけれど、それ以上に発展することはなかろう。

では産地の天候は? これとて今の段階は良くもないし、悪くもないような作柄を、一方に片寄らせる様子がない。

まずまず九分作というあたりで、ここは通り過ぎていきそう。

さすれば、今のような相場はお盆が終わるまで続いたあと、それから下げに入るだろうと思う。

●編集部註
 文中で登場する〝長崎国旗事件〟とはどんな事件であったか。
 1958年、長崎のデパートで行われた日中友好協会主催の展覧会の会場に掲げてあった中国国旗を、右翼団体に所属する人物が引きずり降ろして毀損した事件である。
 この時期、日本政府が承認している〝中国〟は中華民国(台湾)であって、1949年に建国された中華人民共和国ではなかった。これが問題を複雑化させる。右翼の男が毀損した国旗は中華人民共和国の国旗であった。
 日本の刑法には「外国国章損壊罪」があるが、未承認国の国旗にこの罪は適用されない。その結果、男には軽犯罪法が適用されたのだが、この処分に対して今度は中華人民共和国側が噛み付いた。
 日本政府に抗議し、当時の貿易関係を停止する。この状態は、実に約2年半も続いたという。
 日本政府が日中共同声明を発表し、中華民国ではなく中華人民共和国を〝中国〟として承認したのは、田中角栄が首相であった頃の1972年である。